172番です。

 

It is quite possible, then, that my employer fully expects me to respond to his bantering in a like manner, and considers my failure to do so  aform of negligence.

 

この長さならと思いますが、まず分解してみます。

 

It is quite possible

, then,

that my employer fully expects me

                                          to respond to his bantering in a like manner,

                              and considers my failure

                                          to do so a form of negligence.

 

It は仮主語で、that 以下が真主語という構造です。

その that 以下の中身は、対句になっています。カズオ・イシグロは対句が好きですね。

my employer が主語ですが、動詞は二つです。expects と considers です。三単現の s がありますね。等位接続詞 and で結ばれています。

me と my failure が、それぞれの目的語で、続く to respond と to do の不定詞句が、それぞれの目的語の目的補語となっているのです。並べて書くと、

 主語     動詞  目的語   目的補語

my employer    expects        me               to respond    to his bantering 

                                                                                       in a like manners     

               and

                         considers     my failure    to do        so a form of negligence.

となります。

 

構造が分かれば、気が楽になります。が、意味としては、原因と結果、というようなところがあるので、訳し方は工夫がいりますね。

その上、a form of negligence (直訳は、無視の形)の否定語の使い方に気を使いますね。つまり、~ない、とするか、無~、とするかということですが。

 

ご主人様は、私が同じ冗談を返してくることを望んでいた、

(ことを、私は、よくわかっていたが、そうせずに、)

無視の形をとっていたことを 私の落ち度と 考えになった

ということは、全くありうることです。

と、直訳できます。

 

結局、ふたつの文を結んでいる接続詞 and の処理の仕方に工夫がいるようです。

この接続詞は、同じ形のものをつなぐのですが、ここでは形は同じでも、意味の上では原因と結果という従属的なものをつないでいます。それで、訳が落ち着かないのです。

「のに」とするのが自然ですね。

 

そこで、 

「ご主人様は、私が同じ気持ちの冗談を返してくることをお望みで、それなのに、完全に無視するような形をとるのが、私の怠慢であるとお考えになった可能性がございます」

としておきます。

 

教室では、

「おそらく、ご主人様は同じように冗談を返すことを望んでいらしたのに、そうしなかったのは私の落ち度であると思われているのではないでしょうか」

との訳が出ました。

 

 

 

 

171番です。

 

And I recall also some years ago, Mr Rayne, who travelled to America as valet to Sir Reginald Mauvis, remarking that a taxi driver in New York regularly addressed his fare in a manner which if repeated in London would end in some sort of fracas, if not in the fellow being frogmarched to the nearest police station.

 

長いけれど、順序良く修飾されている文のようです。まずは、分解してみることですね。

 

① And I recall also some years ago,

② Mr Rayne,

③ who travelled to America as valet to Sir Reginald Mauvis,

④ remarking

⑤ that a taxi driver in New York regularly addressed his fare in a manner

⑥ which if repeated in London would end

⑦                                               in some sort of fracas,

⑧                                      if not

⑨                                               in the fellow

⑩           being frogmarched to the nearest police station.

 

①から④までが主節で、文型としてはSVOCです。⑤以下が従属節ということになります。

主節の主語は、I で、動詞が recall 、目的語が Mr Rayne 、目的補語が remarking ですが、その間に Mr Rayne を説明する語句が挿入されています。

注意しておくことは、recall は現在形だということです。いま思い出しています、ということで、思い出している内容はもちろん過去の出来事です。

「さらに、レインさんが、レジナルド・モーヴィス卿のお供でアメリカに渡ったとき、言っていたこと、も思い出します」となります。

レインさんとしましたが、レイン君の方がいいかもしれませんね。

教室では、「レイン」と呼び捨てがいいのではないか、との意見が出ました。なるほど、と思います。近しい人は、君とかサンとかつけずに呼び捨てが普通かもしれません。

 

渡ったとき言っていたこととは、 that 以下⑤⑥⑦⑧⑨⑩となるのですが、アメリカでのタクシーの運転手の口のきき方についてです。

 

⑤は、「ニューヨークのタクシーの運転手は、料金をいつでも~のような言い方で知らせる」ですが、

~の部分は⑥以下ということになりますが、どんな言い方かというと、それが二っ書いてあります。それが、⑦と⑨ですが、ありきたりの or ではなく、if not で結ばれています。

⑥は、manner を説明して、後ろから修飾していますが、which は関係代名詞で、その先行詞が、⑤の文の終わりの manner です。主語としての which の動詞は、would end で、仮定法の形になっています。つまり、スチーブンスがそういったケースを想像して表現しているということです。

 

その前に、⑥の end と ⑦もしくは⑨のin は、~となって終わる、ということですが、こういう熟語としてあるかもしれません。

いずれにせよ、ふたつのケースが if not で結ばれているわけです。

 

in は前置詞ですから、その次に来るのは名詞なのですが、

「大ごとに 終わる」、とか、

「縛り上げられた奴に 終わる」、としても間違いではないのでしょうが、

「大ごとに なって 終わる」、なり、

「縛り上げられた奴に なって 終わる」のように、用言の「なって」を挟む方が日本語らしいと思います。

⑨に関しては、⑩が現在分詞で、受動態の形で修飾しています。

「縛り上げられて近くの交番につきだされる奴」となって 終わる

というわけです。

 

ということで、呼び捨てで訳すと、

「さらに、レインが、レジナルド・モーヴィス卿のお供をしてアメリカを旅行中のことを言っていたことも思い出します。ニューヨークではタクシーの運転手が、料金を告げるとき、乱暴な口調でものを言うが、もしそれをロンドンでやろうものなら、運転手はその場でこっぴどく叱られるか、引きずり出され縛られて交番に突き出されるか、しかないとのことでした」

としました。

 

 

  

 

170番です。

 

In fact, I remember Mr Simpson, the landlord of the Ploughman's Arms, saying once that were he an American bartender, he would not be chatting to us in that friendly, but ever-courteous manner of his, but insead would be assaulting us with crude references to our vices and failings, calling us drunks and all manner of such names, in his attempt to fulfil the role expected of him by his customers.

 

長い文です。分解しなくては・・・。

 

① In fact,

② I remember Mr Simpson, the landlord of the Ploughman's Arms,

③                    saying once

④                         that were he an American bartender,

⑤                            he would not be chatting to us

⑥                               in that friendly,  but ever-courteous manner of his,

⑦                           but insead would be assaulting us

⑧                               with crude references to our vices and failings,

⑨                                  calling us drunks and all manner of such names,

⑩                               in his attempt to fulfil the role

⑪                                                              expected of him by his customers.

 

今は地元でパブを経営しているシンプソンさんが、アメリカでバーテンダーとして働くならば、と仮定した働きぶりについて言っていたことを、スチーブンスが聞いて覚えていることを、今書いているようです。

「イギリスのこの店のように、お客を立てるような口調で話すことはないばかりか、お客の振る舞いにケチをつけるように、酔っ払いとか飲んだくれとからかうくらいに怒鳴った方が喜ばれるんだ」とシンプソンさんが言ったようですね。

聞いたことでもあり、また、シンプソンさんがアメリカでバーテンをするならばと、仮定したことなので、仮定法で書かれています。

それが④の were と⑤と⑦の would です。

要するに、見ていないこと、聞いたことを、改めて伝えるとなると、こういう表現になるということなのです。この原理が分かれば、あとはそのように言葉を日本語に置き換えていけばよさそうです。

それともう一つ注意すべき点があります。

伝聞を読者に伝えているのですから、いわゆる関節話法というもので書かれています。his とか us とかの代名詞が具体的に誰を指しているのかに用心するべきですね。

 

さて、前の文は、

「というのも、アメリカでは雇われ人が気のきいた冗談で応えるのは、それも仕事のうちであると考えられているように思ったからでございます」

でした。それを受けて①なのですから、

「確かに」とか、「現実に」と、受けて、発言を展開していけばいいように思います。

「確か」だけでもいいかもしれません。

 

②③は、間にthe landlord of the Ploughman's Arms,がシンプソン氏の肩書として入っていますが、SVOの文型で、そのOが④以下⑪までの伝聞の内容というわけです。

  

ここまでは、

「確かに『農民剛腕屋』の主人のシンプソンさんが、かつて~とおっしゃっていたことを覚えています」

となります。

 

いよいよその伝聞の内容ですが、④以下を再掲すると、

④                         that were he an American bartender,

⑤                            he would not be chatting to us

⑥                               in that friendly,  but ever-courteous manner of his,

⑦                           but instead would be assaulting us

⑧                               with crude references to our vices and failings,

⑨                                  calling us drunks and all manner of such names,

⑩                               in his attempt to fulfil the role

⑪                                                              expected of him by his customers.

となっています。

 

④は、that were he an American bartender, となっていますが、倒置されて接続詞 if が省略された形になっています。

that if he were an American bartender, という語順が順当で、補った if 以下文末までの内容がまるまる that の内容で、それが③のsaying の目的語(節)になっているわけです。

これが、仮定法でなければ、

that when he was an American bartender, となっていたはずで、

彼がアメリカのバーテンだった時に、

と、シンプソンさんはちゃんとアメリカにいたことになります。

 

④を訳せば、

「彼がアメリカでバーテンをするならば」

ですが、間接話法の主語と今読んでいる読者との距離感がポイントです。

 

⑤では、us が誰かをはっきりさせておきましょう。

「我々」でいいのですが、もっと狭く考えるとシンプソンさんがバーテンをする時に目の前のカウンター越しに対面しているお客さんのことです。

「お客には、・・・とは話さない」となります。

 

では、どんな調子で話すかというと、それが⑥の in that friendly,  but ever-courteous manner of his,ですね。

in は、様子や雰囲気を表す前置詞で、but は except の代わりに使われているようです。

前の行⑤に、not があるので、このbut と組ませたくなりますが、慌ててはいけないようです。⑦のbut と組み合わせて、~ばかりでなく~で、とする方が順当です。

「そこまで丁寧ではないものの、親しげな調子で」話すことはなかった、となります。

friendly とか ever-courteous とかは、どんな日本語に訳したらいいのか、頭を悩ますところです。しかも、否定形が入っているとがぜんややこしくなるものです。

 

続いて、組み合わさる方の⑦の but です。そんな穏やかなものの言い方じゃなくて、もっとぞんざいに、もっとお客をアホ扱いにして話す、ということを言っているようです。

「お客を咎めるように」です。

 

これに、⑧の前置詞句がかかっていて、状態を説明しています。

「お客の作法違反や失敗を」からかうのですが、その作法というのは自分たちバーテンが勝手に作った流儀であって、お客の側からすれば、いちいち言うことじゃないことにこだわる、という状態が許される空間だというところがミソです。

つまり、カウンターのむこうとこっち、どっちが客だ、ということです。

⑨は、「酔っ払いだの、その手のいいまわしで」となります。飲んだくれ、あたりもありますね。へべれけを入れた言い回しもありそうです。

 

⑩は、「職務をまっとうする目的で」と直訳でき、

⑪は、先頭に関係代名詞の that または which を補えば、先行詞は⑩の role になり、それを修飾しているという構造です。

「お客から期待されている職務をまっとうする」となります。

 

というところで、つなぎ合わせると、

「農民剛腕屋という店の御主人のシンプソンさんがこんなことを言っていたのを思い出します。彼がアメリカでバーテンをするならば、お客様に向かって穏やかに親しみを込めた口調で話すのではなく、むしろ、お客の不慣れや戸惑いをからかい、酔っ払いとか飲んだくれとからかうように話すことが期待されており、それを果たすことが職務だと申しておりました」

としました。

 

 

169番です。

 

For it may well be that in America, it is all part of what is considered good professional service that an emplyee provide entertaining banter.

 

特に入り組んではいないようですが、分解してみる手ですね。失敗が少ないはずです。

 

① For it may well be

②      that in America,

③        it is all part of what

④                               is considered good professional service

⑤        that an emplyee provide entertaining banter.

 

難しい言葉は使われていませんが、関係代名詞 what が一つと、仮主語真主語関係の that が二か所も使われています。

①の仮主語 it は、②の that 以下が真主語で、結果的に文の最後までが含まれます。

③の仮主語 it は、⑤の that 以下が真主語です。そして、③の文はSVCの文型ですが、そのC つまり補語として what 以下④の節が使われています。

 

そういう構造が分かってみれば、あとは訳すだけですね。

 

①の for は、because の意味ですから、「なぜなら」「というのは」あたりです。

その次の it may well be は、倒置されていますが、 may と be をくっつけると maybe という一語に聞こえてしまうのを避けたかったのであろうと、多分思います。 

may well be は、直説法ですから、確定的な「かもしれない」で、might を使った仮定法の想像での「かもしれない」とは異なることを強調したかったわけですね。

といっても、この三つを並べてみると、

it may well be

it may be well

it might be well あるいは it might well be

という具合で、違っているけれど、訳し分けるのは難しい気がします。

というのも、may かもしれない 自体に想像していることが含まれているからですね。

英語の先生に、きちんとしたことを聞きたいと思っています。

 

さて、①は

「というのも、that 以下のことは、いいことかもしれない」

となります。

 

①の仮主語 it に対する真主語は、②の that 以下で、⑤まで全部が含まれているのですが、②で、「アメリカでは」と条件を付けておいて、

③④⑤が文の本体となっています。

③の it も仮主語で、真主語は⑤の手 that 以下ですが、ここは時制や単複にこだわらず軽く表現しているようです。

本来なら、

that an emplyee provide entertaining banter. は、

that an emplyee provides an entertaining banter. となるべきですが。

 

「雇われ人が、面白い冗談を用意しておくことしておくこと」が

「プロとして当たり前の技術だと考えられていることの」

となって、それが③の all part of だというのですね。

「部分の全部」というのは、

部分部分をつなぎ合わせて、そうすると全体になるという感じでしょうか。

「~も仕事のうちである」あたりが いいかもしれません。

 

ということで、

「というのも、アメリカでは雇われ人が気のきいた冗談で応えるのは、それも仕事のうちであると考えられているように思ったからでございます」

としました。

教室では、

「その点に関して、アメリカでは使用人が職務を遂行するうえで、冗談の一つでも言って楽しませるのも立派な仕事のうちと考えられている節があります」

との訳が出ました。

  

 

 

168-b 番です。(番号を付けるときにミスをしたため、ーbになっています)

 

This last possibility is one that has given me some concern over these months, and is something about which I still feel undecided.

 

とりあえず分解してみます。というほどのことはないのですが、one と something との対比が分かるようになります。

 

① This last possibility is one

②                                          that has given me some concern

③                                                                                 over these months,

④                     and     is something

⑤                                                about which I still feel undecided.

 

こんな風に分解すれば、文の構造がはっきりします。

This last possibility が主語で、is が動詞、補語がone と something の二つになっているわけです。

「この後者の可能性は、one と something です」となるわけです。

後者というのは、「スチーブンス独自の冗談を返す」ということで、前者は冗談を理解したという意味の「笑いだけを顔に浮かべる」ということですね。

 

③は、副詞の働きをしている前置詞句です。

「このところの何か月の間に、わたしにある考えを与えていた」です。

 

⑤は、④の something を先行詞とする関係代名詞 which の内容ですが、その関係代名詞 which は、前置詞 about の目的語にもなっていて、それらが something にかかっています。

「そしてまた、決定できないままの何かでもありました」

と直訳できるのですが、単純に同じ言葉での対句ではなく、少しずつことばをかえての対比と、それから受け取る時間の経過、心の変化などが感じられる文です。さすがノーベル賞と思います。

 

というところで、まとめると、

「何か月かすると、笑うだけより私なりの冗談をお返しした方がいいと思うようになりましたが、なかなか踏ん切りがつかないのでございます」

としました。

教室では、

「この後者の可能性については、数か月にわたって私の悩みの種となり、いまだに思いあぐねていることなのでございます」

という訳が出ました。

 

 

168番です。

 

or indeed, reciprocate with some remark of my own.

 

今度も短い文です。

というか、先頭は小文字で始まっていますし、前の文はセミコロンで終わっていました。前の文と一体のようですね。

 

ということで、reciprocate は 前の文の動詞、was expected to に続く不定詞なのですね。つまり、

was expected to laugh と was expected to reciprocate の二つのことが不定詞で表されていて、その二つが or という接続詞で結ばれているという構造です。

 

「そうでなければ、私独自の冗談を返すべきでした」

と、直訳できます。

 

ファラディ―さんの冗談に、素直に笑うか、あるいは、一歩進めて、気のきいた冗談を言うことで返すか、ということが期待されていたんだけれども、という状況ですが、

スチーブンスは、頭ではわかっちゃいるけど、体が反応しない、というわけですね。

ダーリントン卿の時代には、しかめっ面で言われたことを言われた順にこなしていればよかったわけで、ファラディ―さんの時代になって、仕事の質の変容を要求されているのについていけないということですね。

 

時代が大きく変わっていく時、なかなかその変化に馴染めないのは当たり前ですが、スチーブンスは真面目なだけに、よけい動きがとれないという感じですね。

ということで、直訳のままで、

「そうでなければ、私独自の冗談を返すべきでした」

とします。

  

 

 

167番です。

 

Perhaps I was expected to laugh heartily;

 

短い文です。

前の文では、期待されていることが十分に分かっていなかった、とスチーブンスが述懐していました。

その期待のされ方はどんなものだったのかを、自分で見当をつけている文ですね。

 

「たぶん、私は心から笑うことを期待されていたのでしょう」

 

と直訳できるのですが。

 

ウケるというのが普通になってきているので、

「おそらく私はウケればよかったのです」

とするか、更に進めて、

「そこで、ボケをかませばよかった」

あたりもありかと思うところです。