215番です。

 

I mentioned a moment ago Mr Graham, the valet-butler to Sir James Chambers.

 

この文は短いですね。しかも、簡単です。

SVOの文型で、I mentioned a moment ago Mr Graham が本体です。

中にある a moment ago は挿入句ですね。はずせば、

I mentioned Mr Graham だけになります。「私は、グラハムさんに言及しました」です。

はずしたもの a moment ago をはめ込めば、

「私は、先ほど グラハムさんに言及しました」となります。

この話では、「先ほど」は、207番の文になります。

 

Mr Graham と the valet-butler to Sir James Chambers は、同格です。グラハムさんを説明する言葉を付け加えているわけです。

「ジェームズ・チャンバース卿の執事の」グラハムさんというわけです。

valet-butler は、butler 執事が本来は付き添っては来ないものと考えればよく、valet として連れてこられるのは信頼があるからだろうと思うのですが、ワンランク下の立場とも思えます。

ここは、日本では、肩書は最上位のものを使うように思うので、「執事の」だけで十分だと思います。

 

ということで、

「私は、さきほど ジェームズ・チャンバース卿の執事の グラハムさんのことに言及しました」

となります。

 

教室では、

「つい先ほどジェームズ・チャンバース卿の従者兼執事のグラハムにふれました」

と訳しました。

グラハムに関しては、スチーブンスとは同じ職業的立場の顔見知りであることから、敬称などは付けずに呼び捨てにしました。この方が日本語として自然だろうと思います。

また、グラハムの発音ですが、グレアムの方が実際の音に近いと思います。綴りからは、グラハムと書きたくなるのですが。

見て書くか、聞いて書くか、の違いですが、どちらにすべきか決めかねています。

 

 

 

214番です。

 

Not the way it is today, when on the rare occasion an employee accompanies a guest here, he is likely to be some newcomer who has little to say about anything other than Association Football and who prefers to pass the evening not by the fire of the servants' hall, but drinking at the ploughman's Arms - or indeed, as seems increasingly likely nowadays, at the Star Inn.

 

これで一つの文です。今回は長いですね。分解は必要ですね。

 

① Not the way it is today,  挿入節 倒置 the way やり方
② when on the rare occasion  従節 前句
 an employee accompanies a guest here,  従節SVO
③ he is likely to be some newcomer  主節SVC(VC) be likely to do しそうである 
④ who has little to say  関代newcomer         おそらく するだろう
 about anything other  前句 say about
 than Association Football  前句
⑤ and who prefers to pass  関代SVO(V
 the evening         O)
 not by the fire  前句    not と but 対
 of the servants' hall,  前句
⑥ but drinking at the Ploughman's Arms but = except 現在分詞
⑦  - or indeed  
 as seems increasingly likely nowadays,   
 at the Star Inn.  

こんな感じに分解できます。

文法的には、主節とか従属節とか、あるいは挿入節などと、主従の関係になっていますが、内容はどれも同じ重要度のように思います。つまり訳としては、頭から順に訳してくればよさそうです。

 

①は、この節自体は独立していると考えてよさそうです。文頭にあるのですが、挿入節という立場です。語順としては、倒置されているようです。

Today it is not the way, というのが本来の語順です。

it というのは、前の文213や213-bで言われていたような状況のことですね。漠然と、控室での執事や召使の情景や心持ちを表しています。

四六時中控室で休憩中でも自分の職務について考えをめぐらせていたというのが当時の状況で、最近ではそうではなくなってきた、と、スチーブンスは回想を始めているわけです。

ということで、①は、

「今日では こんなことは やり方では なくなってしまいました」

となるわけで、もっとあっさり、

「今では こんなことは ありません」

でも、よさそうです。

 

②は、次の③に対しての従属節で、主語はan employee です。語尾の ee は雇われている方を表します。er だと雇っている方になるわけです。ここでは、a guest が雇い主、ご主人様になります。

前置詞句 on the rare occasion まれな場合に に、「雇われ人が お客様に つき従って ここへ 来た時」ですから、まとめると、

「お客様が召使を伴ってここへいらっしゃることも まれなことになりましたが」となります。

召使を連れて賓客がここへ現れることも稀になった、と、スチーブンスは時代の移り変わりを感じているわけです。

 

そして③になります。③は、構造的には、主節です。he は、②の an employee です。

「彼は、新人であることが多い」と直訳できます。

つまり、召使いを連れた雇い主が来ることも少なくなったし、そのうえ、その召使も長く仕えて事情を呑み込んでいるような経験者ではなく、何も知らない新参者であることが多い、と嘆くわけです。

さらに、経験が浅いだけならともかく、仕事のことには、あまり興味がなく、サッカーのことしか興味がないと、嘆きは続きます。

 

それが④ who has little to say about anything other than Association Football です。

who は関係代名詞で、先行詞は、some newcomer となります。

注意すべきは、little で、否定になります。少しも~ない、です。a little となると、少しは~ある、となります。

about anything other than Association Football ですがAssociation Football はサッカー協会となるのですが、ここではそこが運営しているサッカーの試合とかプレミア・リーグと考えた方がいいですね。

「サッカーのこと以外、言うべきものが ほとんどない」となります。つまり、

サッカーのことなら、べらべらしゃべるが、仕事のこととなるとできるようになろうという気がない、と嘆くのですね。それが、⑤です。

 

⑤ and who prefers to pass the evening not by the fire of the servants' hall, ですが、

and who は、some newcomer です。サッカー以外に興味がないことを、具体的に言っています。

not と but の組み合わせになっていることに注意です。

evenig というのは、単なる夜ではなく、仕事が終わった後の夜のことで、「召使い部屋での夜のひと時」を指しているわけですね。スチーブンスは、その時間の過ごし方が、今の若いもんは、なっていないと、考えているのです。

orefer は、選ぶ、ですが、そうなってしまうのではなく、積極的に選んでいる というニュアンスが感じられます。

pass は、話題がサッカーなので pass を使ったと思いますが、意味的には、過ごす、費やす あたりだろうと思います。送る も、ありかなと思います。

「召使部屋で火を囲んで送るのではなく、プルーマンズ・アームで過ごす方を選ぶ」

という新参者ばかりになってしまった、ということです。

 

 

流行とか、変化はとどまらないわけで、さらに、or indeed, as seems increasingly likely nowadays, at the Star Inn.となります。

埃っぽい居酒屋も敬遠されるようになり、最近ではおしゃれな、大きなスクリーンもあるようなカフェバーが好まれようになっているというわけです。

 

というところで、まとめると、

「最近ではほとんどなくなってしまいましたが、

たまにご主人様に従ってくる召使がいても、

新しく雇われたものが多く、

しかもサッカーのことしか興味がなく、

仕事上がりの夜の召使同士の雑談より、

ルーマンズ・アームで飲む方を、

もっとも、近ごろは、おしゃれなスター・インが好まれるようですが、

選ぶというようなことになってしまいました」

と、頭から訳せばいいようです。

 

 

 

 

 

213-bです。文番号を間違えましたので、変則ですが気にせずに。

 

We were all essentially cut from the same cloth, so to speak.

 

前の文を補足している、あるいは、言い換えている文ですね。

日本なら、金太郎飴を持ち出すところかなと思いますが。

分解するほどでもないようですが、例のごとくやってみます。

 

① We were all essentially cut SV
②        from the same cloth,  前句
③ so to speak.

挿入句 熟語 

so to speak = so to say いわば

 

こんな風に分解できます。

 

①は、受動態ですね。by 以下は省略されていますが、多分 God でしょうね。

We were cut という受動態の文に all と essenially という副詞が挿入されているわけです。essenially は、「つまるところ」という訳も辞書に書いてありましたが、「そもそも」あたりもいいかもしれません。

「我々は、みんな 本質的に 切り出されていた」

となります。

 

②は、「同じ布から」ですから、要するに、柄ばかりでなく、素材の質も同じということにも注意ですね。

①②をあわせて、

「私たちは、みんな つまるところ 同じ布から 切り出された ものでした」

となりますね。

 

③は、熟語です。「いわば」です。

 

というところで、まとめれば、

「私たちは、つまるところ、みんな同じ布から切り出されたものだったのです、言ってみればでございますが」

としました。

 

教室では、瓜二つ、同類、似た者同士、同じ穴のむじな、出は同じ、などの訳が出ました。

確かに、このようにことわざらしく訳すことは出来そうですが、同じ布だから同じ柄で、裁断のめぐりあわせの都合で、柄の位置がそれぞれ違うだけだ、という気持ちを生かした方が良いように思います。

 

ということで、

「いわば、我々は同じ布から切り出されていたのでございます」

とそのままの訳になりました。

前の文213の「表面に現れた姿に違いはあっても」にもつながると思います。

あるいは、all essenially があるのですから、

「いわば、我々はそもそも同じ布から切り出されていたのでございます」

のほうがいいかもしれません。。

 

 

213番です。

 

There existed in those days a true camaraderie in our profession, whatever the small differences in our approach.

 

テキストを作るときにミスをしたようです。ここまでを213番の文とします。

残りは、213-bとして次回に考えることにします。

 

まず分解してみます。

 

① There existed  there is 構文の変形
②        in those days  前置詞句
③ a true camaraderie  主語
④        in our profession,  前置詞句
⑤ whatever the small differences  譲歩
⑥        in our approach.  前置詞句

 

こんな風に分解できると思いますが、前置詞句はくっつけておいた方が見やすいいかもしれません。

 

ポイントは、there is 構文の変形ですね。過去形になっていますが、existed は was の代わりと考えれば、良さそうです。

was よりも existed の方が、より丁寧さが増すと考えればいいのでしょう。

ということで、主語は③の a true camaraderie ということになります。

②④の前置詞句を訳に加えれば、①から④までは

「その頃は 我々の職業に 真の連帯感が 存在していた」

となります。

 

⑤⑥は、その存在の仕方の注釈です。

whatever で始まっていますが、一般的に「譲歩」と言われます。「歩」を「譲る」んですね。つまり、自分の意見を押しとおすのではなく、相手の考えの方を、まずお先にどうぞ、という感じですね。訳語としては、「~としても」「~のものの」がよく使われると思います。

ということで、

「やり方に 多少の 違いは あったとしても」

となります。

 

全部を合わせれば、

「その頃は我々の職業でも、やり方こそ多少の違いはあったものの、真の連帯感が存在しておりました」

としました。が、もっとスムーズな訳がありそうです。

 

教室では、「仲間意識」という訳が出ました。この方が柔らかく形式的でないように思います。

というところで、

「その頃は、我々の職業でも、表面に現れた姿に違いはあっても、仲間意識は共通でございました」

となりました。

 

 

 

 

212番です。

 

I could go on.

 

これだけです。分解のしようがありません。

 

ポイントは could ですね。

ここしかないですが、もちろん言わずと知れた仮定法です。

仮定法とは、「目の前で起きている事実とは異なる事柄、つまり、頭の中で想像している事柄を叙述する方法」のことです。

逆に、「目の前で起きている事実を叙述する方法」は、直説法と呼ばれます。

英語という言語は、この「事実」と「想像」を常に意識していると、私は思っています。

事実の方は、事実そのもので、それ以外ではありません。これは、範囲が極めて狭いものです。

例えば、どこかで写真を一枚とったとして、そのまま話題にするときは、直説法で話すことができます。しかし、そこに映っているクルマの色を違う色に変えて話そうとすれば、その部分は想像ですから、他の所は事実であっても、仮定法を使わなくてはならないことになります。

事実は、ピンポイントですが、想像の方は、無限に広がりを持つことができます。

自分の想像ばかりでなく、相手の想像を自分が想像していることまで含めると、仮定法の表現範囲は、猛烈に広いわけです。

相手の気持ちを、ちょっとでも考えた場合は、仮定法を使うことになります。それが、丁寧さに繋がり、仮定法は、日本語で言う敬語的な使い方ということになるわけです。

 

このまま続けます、と現在形で言うなら、I go on. となり、

それを過去形で言えば、I went on. となるわけで、自分の意志を明確にすれば、

「このままつづけることができる」となるわけです。つまり、I can go on. となります。

では、これを過去形にするならば、I could go on. 「このまま続けることができた」となってしまいます。

 

この文は、今回の文と全く同じですが、由来は「時制の一致」から来たもので、相手の気持ちを想像した結果ではないことに注意すべきです。

今回の文は、召使部屋に集まっていた人々を、過去の事実として列挙しているのではなく、スチーブンスが私たち読者に向かって、話させてくださいと依頼している場面です。読者の気持ちを想像しているが故の仮定法と考えた方がいいわけです。

 

というところで、

「もう少しつづけさせてください」

としました。

スチーブンスはこう言って、その当時の部屋の雰囲気を私たち読者に話していくわけですが、それは次回です。

 

 

 

 

 

211番です。

 

Mr Herman, valet to Mr John Henry Peters, whose extreme views no one could listen to passively, but whose distinctive bell-lough and Yorkshire charm made him impossible to dislike.

 

この文まで例示です。したがって、文頭に There is が省略されていることは共通です。

それにしても、分解は必要です。

 

① Mr Herman,  主格 (There is)
② valet to Mr John Henry Peters,  同格 立場
③ whose extreme views  関代 SV
④ no one could listen to passively,  OC 
⑤ but whose distinctive bell-laugh  関代 S and    Sが二つ
⑥ and Yorkshire charm   made him      SVO
⑦           impossible to dislike.     C 不定

 

①②が主節です。省略されている There is を補って、

「ジョン・ヘンリー・ピータースさん付きの召使のハーマンさんもいました」

となるわけです。

その人がどんな人かは、③の whose 以下で説明しています。一般的に人となりは一筋縄でいかないのが普通で、ここでも二つの側面を挙げています。

まず、③④で、「彼の卓越した見解は、誰も受動的に聞くことは不可能だった」と描写しています。

「誰でも聞き流すことができない説得力のある考えを持ち」

ということです。

 

⑤⑥⑦は、分解の都合で二行になってしまいましたが、bell-laugh and Yorkshire charmが主語です。この従属節は、SVOCの文型ですね。

その C は impossible という形容詞ですが、不定詞 to dislike で修飾されています。

「そしてまた、特有の大笑いとヨークシャー育ちの人懐っこさは、誰も嫌うことができなかった」

となるようです。

 

というところで、つなげれば、

「誰でも聞き流すことができない説得力のある考えを持ち、また、誰でも嫌うことができない特有の大笑いとヨークシャー育ちの人懐っこさを持ったジョン・ヘンリー・ピータースさん付きの召使のハーマンさんもいました」

となりますが、直訳過ぎますね。

 

 

 

210番です。

 

Mr Davidson from Easterly House, whose passion in dabating a point could at times be alarming to a stranger as his simple kindness at all other times was endearing;

 

この文もセミコロンで終わっています。この文を含めていろいろな例が羅列してあるわけです。

まず、207番で最初の例を挙げて、そのほかの例を順に続けています。つまり、

207. ピリオド 

208; セミコロン 

209; セミコロン 

210; セミコロン

211. ピリオド

のパターンで多く例を挙げていますが、セミコロンで切るという符合の使い方になっています。文法的には切れているが、実は、207番から、次の211番までがひとつながりの内容の文だったということになります。

文法的には、それぞれは独立した文章なので、切り離して考えることができます。当然その方がわかりやすいはずです。

ちなみに、

英語の文の原則は、「一つの文に動詞は一つ」です。よって、動詞を二つ使いたいときは、二つ目の動詞は、不定詞の形にするわけです。

I go. と、I see. をくっつけて、一つの文にするときは、 I go see. は動詞が二つになってしまうからダメで、I go to see. 二つ目の動詞は不定詞にしないといけないということです。

 

というところで、分解することにします。

① Mr Davidson from Easterly House, 

主格 (there is)

② whose passion in debating a point  関代
③ could  at times  be 動詞 仮定法(想像)
④ as alarming to a stranger   as ~ (として)
⑤ as his simple kindness  at all other times as ~ 
⑥ was endearing;   

 

①は、前の文と同じで、ここも there is が省略されていると考えるべきです。②以降はMr Davidson の説明となっているのですが、文の構造としては従属節です。①は主節でないと困るわけです。ということで、

There is Mr Davidson from Easterly House, 

とすれば、主節の完全な形になります。

イーストリー・ハウスのデヴィッドソンさんもいました」

と訳すのがよさそうです。

 

つぎは、②③④と続けて、

②は、従属節の主語ですが、関係代名詞の所有格で①につながります。

「一面では、核心を指摘する情熱を持った」と訳せそうです。

③の could は、仮定法と考えなくてもよさそうです。⑥の was endearing と同じ過去時制と考えた方がいいです。

at times は、⑤の other times と対になっていて、デヴィッドソンさんの一つの行動の違った側面を表しています。複数になっているのは、そういう場面が何回もあったということになります。

④は、「初対面の人にとっては驚くようなこととして」でよさそうです。

つなげると、

「初対面の人にとっては驚くようなこととして、一面では核心を指摘する情熱を持った、イーストリー・ハウスのデヴィッドソンさんもいました」

となります。

「初対面の人は驚くような歯に衣着せぬ物言いをするデヴィッドソンもいました」

とすればよさそうです。

 

⑤⑥は、そういう物言いは強引で乱暴に見えるけれども、一面では正直で正義感がこもっていたという感じを言いたいのだと、感じますが。ということで、

「それは一面では、人を引き付ける 裏表のない 思いやりでもあった」

という感じだと思います。

 

デヴィッドソンさんは、

武骨で不器用だけれど、根は曲がったことは我慢がならん、

という人なんでしょう。

 

これをまとめて、

「また、初めての人は驚くような 歯に衣着せぬ物言いをするものの 根は人をひきつける思いやりにあふれた イーストリー・ハウスからのデヴィッドソンさんもいました」

としました。