1-57です。

 

What I saw was principally field upon field rolling off into the far distance.

 

分解というより、品詞を意識した修飾関係を正確に分析する必要がありそうです。

 

What I saw が主語です。「私が見たものは」です。

was が動詞です。その was に対する補語が field ですね。「草地でした」となります。その was には principally という副詞がかかっていますから「主に草地でした」とすべきです。

「主に」というのは、どんな感じでしょうか。

私は、草地がはるかかなたまで、地形に応じた斜面に沿ってうねっており、ところどころに木が高く伸びている、というような景色を想像します。そういうアクセントになりそうな風景のポイントを除けば、後はどこまでも続く草地だけ、というのが principally と思えます。

 

そういう一面の草地が地形の傾きによって、その角度の平面が途切れ、次の草地の上に重なっていくように見えるという感じがします。

それが upon field と表現されているのだと思います。

 

日本では、農地はコメを作るための田んぼが pricipallyですから、水を張る必要があり、必然的に水平になってしまい、更に隣の田んぼとは垂直な石垣で区切られていきますから、段々畑となってしまい、うねりながら遠くまで続くという状態はなかなか目にすることがないわけです。

 

さて、二番目の field は現在分詞 rolling off で修飾されており、「遠くまでうねっている」「うねりながらかなたへ続いている」ということで、まさにイギリス的と思います。

しかも、それが into the far distance しているわけです。

off とか、into とか、のこまやかな使い方は、カズオ・イシグロならではと思います。多分ほかの作家にはないところのような気がします。

 

というところで、

「私が見たものは、どこまでもうねりながら遠くまで続いている牧草地の重なりでございました」

としました。

 

 

 

 

1-56です。

 

Here one was met by a bench - and indeed, by a most marvellous view over miles of the surrounding countryside.

 

受動態です。が、教科書的な受け身というやつではないですね。カズオ・イシグロのセンスはさすがです。

受動態の文が二つあります。分解してみます。

 

① Here one was met by a bench

② - and indeed,         by a most marvellous view

③                             over miles of the surrounding countryside.

 

こんな感じに分解できるでしょうか。③は view を形容している前置詞句です。分ける必要はなさそうですが、①②の受動態の構文が際立つと思い分解しました。

 

①は、「ここで人は誰でもベンチに出迎えられる」という受け身の文です。one が主語で、was met されるわけですね、by a bench ベンチによって、です。

つまり、ベンチがあるのが目に入る、ということです。

しかも、そのベンチは何の形容もありません。おそらく、木製の古びた、座るのも考えてしまうようなベンチだと思うのですが、カズオ・イシグロは一切形容していません。

「ベンチが一つ、目に入りました」

 

それに対して、②は同じ形の受動態の文ですが、Here one was met は省略していますが、and indeed で受けています。indeed は、次に出てくる景色のすばらしさをさりげなく強調しています。

ハイフンもそういうことに一役買っていると思うのですが、このハイフンはなくても意味は通じます。ただ、ベンチという物と、景色というモノではない物を対比させているぞという作者の気持ちの表れと考えると納得できますね。

a most marvellous view によって、one が見られるという受け身なわけですが、bench は一言だったのに対し、view の方はしっかり言葉が尽くされています。その対照も注意事項でしょうか。

「そしてその向こうに、どこまでも穏やかに豊かに田園風景がひろがっているのが、目に入りました」

 

ということで、合わせれば

「ベンチが一つ目に入りました。さらにその向こうには、どこまでも穏やかに豊かに田園風景がひろがっているのが、目に入ってきたのでございます」

となります。

 

 

 

 

 

1-55です。

 

I then reached a small cleaning, undoubtedly the spot the man had refered to.

 

100メートルばかりジグザグに登ったら、ちょっと開けたところにスチーブンスはついたようです。メートルと書きましたが、本当はヤードですね。

 

今回も念のため分解してみます。

 

① I then reached a small cleaning,

② undoubtedly the spot the man had refered to.

 

分解というより並べ替えですね。

①は、コンマの代わりに、関係代名詞 that で繋げばOKなのでしょうが、the spot の後ろにも関代が意識できるので、さっぱりとどちらも省略した感じですね。

 

「やがて、私は狭いけれど開けた場所に着きました」となります。

 

②は、「疑いもなくその場所は、住民が言っていた場所でした」

となります。

 

ということで、まとめれば、

「苦労はしたものの、私は見晴らしの良いところに着きました。ここが住民が言っていたところなのでしょう」

としました。

then が、苦労はしたものの、というわけです。

 

 

 

1-54です。

 

Cretainly, it was quite a strenuous walk - though I can say it failed to cause me any real difficultty - the path rising in zigzags up the hillside for hundred yards or so.

 

体力があるところを見せたかったのか、住民の勧めに従ったのか、そのどちらかは分からないのですが、スチーブンスは結局登ることになりました。

となると、頂上までの道は難しくなかったことを示さなければなりません。

 

今回は、登った時の感想です。ちょっと長いです。例のごとく分解してみます。

 

① Cretainly, it was quite a strenuous walk

② - though I can say it failed to cause me any real difficultty -

③ the path rising in zigzags up the hillside for hundred yards or so.

 strenuous  非常に活発な 熱心な 激しい 非常な努力を要する

 

こんな感じに分解できるでしょうか。

ハイフンではさまれた②は、スチーブンスの正直な気持ちで、strenuous という表現を補足しているという感じでしょうか。stenuus も通常では使わないような言葉ですが、その普通では使わない言葉を使っても、実体としてはまだ不足しているとスチーブンスは思っているのですね。相当きつかったようですが、それをした自分の体力を自慢したい気分もあるようです。

it は、①の strenuous walk とも思えるのですが、it が形式主語で、to cause が真主語と考えた方がよさそうです。

「どんな困難を私に用意しても失敗する」

というわけで、

「もっとも、どんなに険しくても登れると言えますが」

となります。

 

③の the path は、①の strenuous walk と同格で、スチーブンスの感想ではなく、実際の様子を書いています。

「たかだか100メートルほどジグザグに登るだけですが」

ということです。

ジグザグというのは、一見すると大変そうですが、勾配を緩やかにするためのもので、まっすぐ上るより楽なのです。

 

というところで、

「たしかにそれは険しい道でございました。と申しても、たかだか100メートルほどジグザグに登るだけのことで、私には難しいことではございませんでした」

とします。

住民に、どうだ見てみろ、と言いたい様子が伝わってきます。

 

 

 

1-53です。

 

In any case, I am very glad I did so.

 

今回は短いですね。助かります。

 

気をつけるとすれば、時制です。

前半の I am は現在形、後半の I did は過去形です。つまり、

今は喜んでいる、わけで、それは、過去のその時にそうしたからです。

 

今思い返していることと、その時にした行動の因果関係を意識すれば、訳は問題ないでしょう。

 

in any case は、「どんな事情にせよ、ともかく」と辞書に出ています。

ここでは、住民の挑発に乗ったにせよ、とにかく山を小道づたいに登ってしまったということを指しますね。

 

ということで、

「いずれにせよ、その時そうしたことを今ではとてもよかったと思っております」

とします。

「今」と「その時」を入れておきましたが、余分なことかもしれません。

 

 

 

 

1-52です。

 

But this morning, I must say, I found it quite offensive and it may well have been the urge to demonstrate just how foolish his insinuation had been that caused me to set off up the footpath.

 

久々に長い文で、入り組んでいるようです。分解してみます。

 

① But this morning, I must say, I found it quite offensive

② and it may well have been the urge

③        to demonstrate just

④            how foolish his insinuation had been

⑤                                  that caused me to set off up the footpath.

 

こんな感じに分解しました。

 

①の it は、前の文での banntering remark のことですね。つまり、冗談めかして言ったことを、スチーブンスは最初は冗談とは受け取らず、むしろけしかけている、挑発している、煽っていると感じていたのですね。

I must say は現在形で、読者に向かって話している今のことです。

I found は過去形ですから、住民との会話などその時のことを回想しているわけです。

this morning はその時の今朝ですから、「その朝」になるわけで、日本語では「そのときは」とした方が自然です。

「しかし、その時は煽られているような気がしたと言わざるを得ません」

という感じですね。

 

スチーブンスは意外と血気にはやるというか、好戦的です。住民の挑戦を受けて立つわけですね。長い間ご主人に仕えているのですから、意外にストレスが溜まっていたのかもしれません。

②の it は、仮主語です。真主語は to demonstrate というわけですが、その目的語は④以下の感嘆文です。

この文の時制は現在形で、しかも may となっています。「かもしれない」ですが、スチーブンス自身のことなので、想像ではないので仮定法にはならず、直説法の may というわけです。こういう使い分けを楽しめると時間を忘れます。

③の to demonstrate が真の主語で「示すことは」です。

③を含めて訳すと、

「示すことは、緊急のことだったわけでございます」

辺りになるでしょうか。

 

④は感嘆文ですが、his insinuation が、いかに foolish だったかを示します。時制が完了形になっていますが、その時に完了していたわけです。

「挑発がいかにばかげているかを」

ですが、無理に感嘆文を訳す必要はないと思います。

「非常にバカなことだと」

辺りでいいと思います。

 

⑤の that は関代ですが、先行詞は、感嘆文の語順に引っ張られて、前の方に移動している his insinuation です。

 

結局、スチーブンスは住民の誘いに乗ってしまうわけですが、ミイラ取りがミイラになるとか、王手飛車取りというようなことは、結構あることです。

今回は住民に乗せられて、良かったと思いますよ。この景色がいくら良くても、次からの景色がつまらなくということはないはずです。

 

ということで、

「しかし、その時は挑発的な言葉だと思いました。それで、煽ったことが見当外れだったと思うように、小道を軽々と登って見せてやることにしたのでございます」

としました。