163番です。

 

Those 'great' butlers like Mr Marshall who have it, I am sure, acquired it over many years of self-training and the careful absorbing of experience.

 

分解というより、挿入されている I am sure をはずすと見通しが良くなります。

また、根拠はないのですが、こういうものを挿入すると、言葉遣いが丁寧になるように思います。日本語に訳すときには、語尾が「~ございます」になるような感じです。

 

① Those 'great' butlers    like Mr Marshall who have it,

② I am sure,

③ acquired it    over many years of self-training and the careful absorbing of experience.

 

と、こんな風に分解してみると、①の Those 'great' butlers が主語で、③の acquired it が動詞と目的語の SVO の文型であることがはっきり分かります。

それに修飾の文句をくっつけて訳せばいいわけです。

 

で、①は、it は dignity で、

「品格を持っているマーシャルさんのような「偉大な」執事の方々は」

ですね。

 

②は「と思います」ですが、ここでは「と思うのでございます」と最上級の丁寧さに訳しておきます。

 

③は、動詞目的語部分ですが、it は dignity ですから、

「長い間の自己研鑽と 丁寧な経験の吸収を通じて 品格を獲得している」

となります。

 

全部合わせれば、

「品格を持っているマーシャルさんのような「偉大な」執事の方々は、長い間の自己研鑽と丁寧な経験の吸収を通じて品格を獲得してきたのだと、思うのでございます」

となります。

つまり、スチーブンスは、品格は最初からあるものではなくて、後から身につけるものだと言いたいのだと思います。

 

 

 

162番です。

 

Now while I would accept that the majority of butlers may well discover ultimately that they do not have the capacity for it, I believe strongly that this 'dignity' is something one can meaningfully strive for throughout one's career.

 

長い文です。しかも教室では、6月25日にここまで進んでいます。ブログの方が遅れているので、一寸焦っています。

それはともかく、分解します。

 

① Now while I would accept that

② the majority of butlers may well discover ultimately that

③ they do not have the capacity for it,

④ I believe strongly that

⑤ this 'dignity' is something

⑥ one can meaningfully strive for throughout one's career.

このように分解しました。

今回は、関係代名詞はすべて前の文の目的語であると解釈して、前の文の後ろに置きました。

 

③までが仮定法の条件文、④以降はそれに対する帰結文と考えればいいようです。

 

訳は②から始めればよさそうです。

「執事の大多数は that 以下のことを やがて 気付くことになるかもしれない」

ですが、この部分は直説法で書かれています。

つまり、現実のことです。may well かも知れない となっていても、ここは事実だとカズオ・イシグロは言いたいのですね。

それに対して、私スチーブンスのセリフは would accept と仮定法で書かれています。つまり、ここは想像を表していて、まあそれを認めるとしても、という譲歩を表しているわけです。この仮定法と直説法の使い分けが面白いところです。

 

that 以下は③で説明されていて、

「彼らが その能力を もっていないこと」

ですが、they は the majority of butlers です。

 

ここまでは

「執事の大多数は 彼らが その能力を もっていないことを やがて 気付くことになるかもしれない」

という事実を、私自身が受け入れることは仮定法で記述しているので、①は

「私が that 以下のことを受け入れる」

と訳せます。

accept は「受け入れる」ですが、「分かる」「思う」あたりでよさそうです。

 

ここまでをまとめると、

「執事の多くが 結局のところ その力量がないことを 悟ることになるかもしれないと思いますが」

となります。

 

力量がないと分かったら、じゃあ止めてしまおうと考えるのではなくて、それでもなお、努力すべきだというのがスチーブンスの考えです。それが④以下です。

 

④は、

「私は強く信じています」

でよさそうで、⑤と⑥が信じることの目的語ですが、

「この品格というものは、人の一生を通じてそれを求めて 努力することは 意味があることだと 私は強く 信じています」

となります。

 

というところでまとめると、

「執事の多くが 結局のところ その力量がないことを悟るかもしれないと思いますが、一生を通じて品格というものを求めて努力することは意味あることだと私は強く信じています」

となります。

 

これで、教室にブログが追いついたことになります。

 

 

 

 

 

161番です。

 

and if one did not self-evidently have it, to strive after it would be as futile as an ugly woman trying to make herself beautiful.

 

and は小文字で始まっています。実は前の文はセミコロンでおわっており、この文はその文に対する注釈あるいは補いという感じの文です。

 

if 節と、それに対する帰結文(節)からできている複文です。構造がはっきりするように分けてみます。

 

① and if one did not self-evidently have it,

② to strive after it would be as futile

③ as an ugly woman trying to make herself beautiful.

 

こんな風に分解しました。②と③は続けておいた方が分かりやすいかもしれませんが、分けてみると as ... as の as の個別の働きがよく分かります。

 

さて内容は、スチーブンスは、品格というものは、自身の職務を通じて経験を重ねていくことによって獲得されるものであり、生まれで決まるものではないと、考えているわけで、そうではなく生まれつきである、という考え方に反論をしているところです。

 

①は、one は「誰かが」「人は」ということで、it は、「品格」ですが、

「そして、もし、誰かが あきらかに それを もっていないとしたら」

となり、ます。

 

②は、変則的な語順になっています。

it は 仮主語で、真主語は to strive ですが、「懸命に努力することが」です。

after は、一般的には前置詞ですが、ここでは副詞または形容詞で使われています。つまり、「後からの懸命の努力は」となります。

それが、would は仮定法で、想像を表していることを考えにおいて、futile であると言っています。

「後からの懸命の努力は、無駄であるだろう」

 

それが③につながっていきますが、

「醜い女の人が 自身を美しくすることを試みること のように」

和訳では②に戻るわけです。

 

まとめれば、

「つまり、もし人があきらかに品格を持っていないとしたら、醜い女の人がきれいになろうと後から努力しても無駄なように、無駄になってしまうだろう」

となります。

これはスチーブンスの考えではなく、これを否定するのがスチーブンスの目的であり、このあたりのことは、ヘイズ協会も言っていることですが。

 

 

 

 

 

160番です。

 

Moreover, my main objection to Mr Graham's analogy was the implication that this 'dignity' was something one possessed or did not by a fluke of nature;

 

それほど入り組んだ文ではないようです。最後はセミコロンになっていて、実は次の文に意味の上では連続しています。構造的には、別の文と考えればいいものです。

分解してみます。

 

① Moreover, my main objection to Mr Graham's analogy was the implication that

② this 'dignity' was something

③ one possessed or did not by a fluke of nature;

 

こんな風に分解しました。

②の最後には which (that) という関代が省略されていて、それを介して③のつながっていきます。

 

さて、①ですが、my main objection が主語で、the implication が補語のSVCの文型です。the implication は先行詞としての役割もあるのですが、関係代名詞 that を介して③につながっていきます。

 

まず①は、moreover という副詞から始まっています。補足したいことがあるようです。

「さらに、グレアムさんの分析に対する 主たる反対点は ~という解釈 でした」

となります。

 

②は、

「この『品格』は 何らかのもの である」

となって、③から修飾されています。

 

で③は、

「人が 自然のきまぐれによって 持っていたり いなかったりする ところの」

ですから、②③を合わせれば、

「この『品格』というものは、人が 自然のきまぐれによって 持っていたり いなかったりする 」となるわけです。

 

というところで、まとめれば、

「さらに、グレアムさんの分析にたいする 私の主たる反対点は この『品格』というものは、人が 自然のきまぐれによって 有無が決まる 何物かである という解釈でした」 

となります。

 

要するに、スチーブンスは生まれつきの性質や性格ではなく、後からの努力や精進あるいは修行というものを、どう考えるのか、ということを重要視しているわけですね。

 

最終的に、

「さらに、グレアムさんの分析に私が反対する大きな理由は 「品格」というものは運命の気まぐれによって有無が決まるものであるという解釈にありました」

とします。

 

 

 

159番です。

 

I, on the other hand, held the opinion that to draw such a parallel tend to demean the 'dignity' of the likes of Mr Marshall.

 

分解してみます。

① I, on the other hand, held the opinion that

② to draw such a parallel tend to demean the 'dignity' of the likes of Mr Marshall.

と分解しました。

①の終わりの関代 that は、今回はここに置きましたが、普通は②の先頭に置きますね。関係代名詞ですから、前の文の要素にも、後の文の要素にもなるので、こういうことになってしまいます。

 

①は、on the other hand が挿入されていて、I の立場は違いますがと強調しています。on は、自分が立つ立場を表す前置詞ですが、

「私は、違う立場で、that 以下の考えを持っていました」

となります。

 

②は、to draw という不定詞が主語で、to demean という不定詞が補語になっています。どちらも役割は名詞です。

「そのような例えを持ち出すことは、マーシャルさんたちの「品格」をけがすことになってしまう」

です。という考えを、スチーブンスは藻ていたわけです。

 

というところで、

「私は、これには反対で、こういう例えを持ち出すことは、マーシャルさんたちの「品格」をけがすことになってしまうという考えを持っていました」

となります。

 

 

 

 

 

 

158番です。

 

Mr Graham would always take the views that this 'dignity' was something like a weman's beauty and it was thus pointless to attempt to analyse it.

 

やはり、入り組んだところがあるようで、分解してみます。

 

① Mr Graham would always take the views

② that this 'dignity' was something like a weman's beauty

③ and it was thus pointless to attempt to analyse it.

 

分解の区切りは、これでいいのですが、③の and はどこへつなげればいいのかは少し考えるところではあります。

 

まず①は、would は、過去の習慣を表している、というものですね。

「グレアムさんは、いつも 考えを取っていたものでした」

「グレアムさんは、常々申しておりました」

となります。

 

で、考え、については、②の that で説明されているのですが、③を含めた方がいいかどうかですが、thus 「このように」で関連付けられていますから、くっつけておいて問題なさそうです。

まず②は、SVCの文型だと思うのですが、辞書には something like (o) としてそのまま出ています。「いくぶん~のような」と訳されていて、細かな分析は出ていないので、これで納得する以外にないのですが、それぞれの言葉の役割が不明なのは残念ということです。

「この『品格』は、いくぶん女の人の美しさに似たところがある」

と訳せます。

 

さて、③ですが、it は仮主語ですね。真主語は to attempt という不定詞です。

不定詞は、つまり名詞ですから「試みること」となるのですが、もともとは他動詞なので目的語を取ります。それが、続く不定詞の to analyse it ということになります。 

「それを分析することを こころみること」が主語ということになります。

それが、was thus pointless なのですから、

「は、このように 無意味なこと です」 あるいは「それゆえに」

となります。

 

まとめれば、②から訳し始めると、

「この『品格』という言葉はどこか女の人の美しさに似たところがあって、それゆえに分析することを試みることは 無意味である という考えを、グレアムさんは 常々 申しておりました」

となります。

 

ちなみに、to analyse it の方が真主語だと考えてみると、

その場合は pointless to attempt 「試みることが 無意味である」が補語となるわけで、

「それを分析することは 試みることが無意味である」

となります。

「それを分析することを試みることは 無意味である」と比べてもあまり違いは感じられません。

 

 

 

 

157番です。

 

And it was on this point that the likes of Mr Graham and I had some of our most interesting debates.

 

今回は短い方の文です。and が二つあったりしますが、そんなに複雑ではないようです。内容的には、グレアムさんと私が議論を交わすわけで、だから and というわけですね。二人以上いないと討論はできませんね。

「そして、グレアムさんのような人と私が、もっとも面白く討論を繰り返しました」

となります。

最初の and は、そして、でいいと思いますが、さらに、とか、付け加えると、辺りもいいかなと考えます。

 

さて、よく見てみると、構造的には、この文は強調構文になっていることが分かります。つまり、

on this point が強調されているわけです。

「付け加えると、グレアムさんのような人と私が、もっとも面白く討論を繰り返したのは、まさしくこの点でした」

と強調されることになります。

 

これで一件落着ですが、it が仮主語で、that 以下が真主語だと考えるとどうでしょうか。

強調構文の it that と仮主語真主語の it that は、形としては同じです。

that 以下が主語と考えると、

「グレアムさんのような人と私が 何回も 最も 面白く 議論を繰り返したことが」

で主語になります。そして、それが動詞部分に結びついて、

「グレアムさんのような人と私が 何回も最も面白く議論を繰り返したことが この点についてでした」

となります。

 

それほど変わりはありません。

どう考えようと、元の英文は同じで、訳文にそれほど違いはなく、また構文の目的に沿った訳語を使うので、なんとなく違いがあるようになってしまうようです。

 

というところで、

「付け加えると、グレアムさんのような人と私が、もっとも面白く討論を繰り返したのは、まさしくこの点でした」

とします。