19番の文は長いです。小文字から始まっていますが、前の文がセミコロンで終わっていたなごりです。

 

a reply to the effect that those of our proffesion, although we did not see a great deal of the country in the sense of touring the countryside and viviting picturesque sites, did actually 'see' more of England than most, placed as we were in houses where the greatest ladies and gentlemen of the land gathered.

 

to the effect that  ~という趣旨で(の)

picturesqu     絵のように美しい 画趣をそそる 人目を引く 

 

挿入が多いので、見通せません。文を並び替えてみます。

しかし、読む場合はコンマのところで、息継ぎなどをして少し時間の空きができるので、それを頼りに頭から理解をしていくのが順当なのかなと思います。

 

a reply to the effect that

    those of our proffesion,

               although we did not see a great deal of the country

                       in the sense of touring the countryside

                                         and visiting picturesque sites,

     did actually 'see' more of England than most,

  placed as we were in houses

                                    where the greatest ladies and gentlemen of the land gathered.

 

こんな感じになるでしょうか。

 

a reply to the effect that 「その答えらしきものとは、すなわちthat 以下」で始まります。セミコロンで区切られた前の言葉 reply を説明しています。この部分は動詞部分がなく、その意味では文ではなく、注釈部分という感じで、訳を付ければいいでしょう。

「その答えとは、こんなことでございますが~」で、that 以下の内容をつなげばいいことになります。

 

で、that 以下とは、

those of our proffesion が、主語部分です。その後に3行分の挿入部分がありますが、これをを飛ばして、did actually 'see' が述語部分(動詞部分)となります。did は see の強調で、actually saw が普通の形です。

 

つまり、19番の文の骨格は

 those of our proffesion did actually 'see' more of England than most

だけとなって、後は付け足しで、

「われわれの職業の者は、最も良いところよりも、更に良いイギリスを見てきた」

と直訳出来るだろうと思います。

 

もう少し細かいところを見ていくと、一つ目は、

did actually 'see' の see がアポストロフィで囲まれていることと、二つ目は、

more of England than most, の most に、本来最上級にはあるべき the がつけられていないことに気がつきます。

一つ目は、そういう職業、つまり執事をはじめとする召使の立場の者たちは、各国の要人たちの世話をしながら、その人々の行動を見てきたはずだから、という意味が含まれています。ぼーっと生きてきた召使もいるかもしれないが・・という感じがするところです。

二つ目は、最上よりももっと良い、というのは、そっちの方が良いから the を付けるなら、こっちという感じで、結局 most の方から the を剥奪したということでしょう。

その most のところとは、その前の三行に描写されているところで、イギリスの国立公園とか、何とか遺産に指定されているような picturesque な、風光明媚な観光地です。

”映える”ところです。

 

この三行は、

「我が国の訪ねてみたい名所やら、見ておきたい旧跡をこの目で見てきたわけではないけれど」

が直訳ですが、もう少し日本語らしく訳して、それに対句をそれらしくして挿入すればよさそうです。

 

そして、

そういう更に美しく、著名な紳士淑女が集っていたイギリスらしいイギリスとはどこかというと、私たちが縛り付けられていたこの邸館だった、と最後の文が続きます。

placed as we were in houses  「私たち(召使たち)が邸館に置かれていたが」

              「私たちは一歩も外に出ていませんが」

そこには、

where the greatest ladies and gentlemen of the land gathered.

「世界中の偉大な紳士淑女が集まっていた」

というのです。

the land は、イギリス各地と考えるよりも、もっと広く世界中、つまり global と考えた方が、いいと思います。the という定冠詞も、それを表していると考えられます。

日の沈むことのない大英帝国は一つであるという気分かもしれません。

物語の先へ進むと、世界中の人がこのダーリントンの邸館に集まってきます。

そして、「偉大な」というのは、そういう有力な人々の中で、「決定力のある」とか「影響力のある」とか、あるいは「政治力のある」という意味でしょう。

 

この物語「日の名残り」の始まりプロローグの時代設定は、1956年となっています。すなわち、1945年に第二次世界大戦終結し、世界の秩序が塗り替わってから10年後となっています。

世の中はだいぶ落ち着きを取り戻し、アメリカがそれまでのイギリスの地位を奪い、世界の中心であることがはっきりしてきたころです。

通信関係のインフラが発達し、情報化社会として整備されてくるに従い、今までは目に見えない裏側で決められていた世界の秩序方針が、次第にさらけ出されるようになってくるという変化が、はっきりしてきます。

このダーリントン・ホールも、それまでの鹿鳴館的な、裏舞台の中心という役割が、必要ではなくなってきています。つまり、そこにあったイギリス貴族社会の伝統秩序が、アメリカなどの新興経済力に打ち負かされていくことになります。

そういう変化は、イギリスの立場で見ると「昔日の栄光」が「日の名残り」になるようです。

 

パターンとしては、イギリス人で、伝統的かつ、勤勉な執事のスチーブンスと、アメリカ人で、自由奔放でも、やはり勤勉な新しい主人のファラディさんの、ツッコミとボケというかけあいになるでしょうか。

 

ということで、まとめて、

「それを申してみるならば、確かに私どもの職業の者は、我が国の名所旧跡、つまり今の姿を見て歩くという意味では見聞が広いとは申せません。ところが、我が国の行く末、これからの姿ということであれば、この邸館にお集まりになられた内外の要人の方々の一挙手一投足を、私どもはつぶさに目にしていたのでございますが」

としてみました。

 

あるいは、並び替えた原文に沿って訳すなら、

「その答えらしきものとは、

 私どもの職業の者は、

 たしかに、我が国の素晴らしいところを見ていませんが、

 つまり、鄙びた土地を巡ったり、観光の名所を訪ねたりこそはしていませんが、

 それよりもさらに素晴らしいイギリスを目にしておりました。

 というのは、私どもは邸館から一歩も外へでておりませんが、

 世界中の力のある方々が、ここにお越しだったからでございます

 となろうかと」

とすればいいかなと思います。