20番の文に行きます。
Of course, I could not have expressed this view to Mr Farraday without embarking upon what might have seemed a presumptuous speech.
express 表現する 述べる 速達で送る
embark 船出する に乗り込む 開始する 乗り出す
presumptuous 生意気な おこがましい
could も might も、仮定法です。
つまり、頭で考えただけで、実行しなかったことを表しています。
this view 、つまり、前の19番の文の考えのことですが、それはとても言えなかったのですが、
具体的に何をしなかったかというと、
「言うこと」で、
そのわけは、
「なまいきな speech になる」からです。
speech は、単なる「発言」ではなく、presumptuous なもので、「分を越えた言いよう」とか「分を越した言い方」、つまり「なまいき」ととられてしまうことを恐れています。
そんなことを upon してしまうから、とても言えないという意味を担っているのは、その前の without です。このupon は、上乗せという感じでしょうか。
without は、「~を除いて~する」の除いて部分ですが、「~しないで~できない」とか「~すれば、どうしても~してしまう」ということになります。
ここで、文を見通せるように並び替えます。
Of course,
I could not have expressed this view to Mr Farraday
without embarking upon
what might have seemed a presumptuous speech.
こうすれば、見やすくなると思います。
本体は、2行目で、
「ファラディさんにこの考えを言うことができませんでした」
で、たったこれだけで、あとの部分は付け足しということですが、簡潔にひねくれている感じが、さすがノーベル賞だと思います。
whatは、先行詞を含む関係代名詞です。ということで、what 以下は
「分を越えた言いようになること」となり、その上に(upon )
「積み込むことなしに、いうことはできない」となります。
「言えば、積み込んでしまうことになる」、「言えば、付け加えてしまう」という感じです。
直訳をつなげてみれば、
「もちろん、ファラディさんにこの考えを言うことができませんでしたが、
言えば、分を越えた言いようを付け加えてしまうからでした」
となりますが、
整理して、
「もちろん、そう申し上げるわけにはまいりません。もしファラディさまにお伝えしようとすれば、分を越えた言いようにならないとも限らないからでございます」
としました。
ということは、この最後の訳は、一つ一つの単語の意味ばかりでなく、そう考えたスチーブンスと、それを聞くファラディさんや、二人の性格や立場など、文章には直接現れていない事柄の影響を受けたことになります。
また、作家のカズオ・イシグロは、そういう性格など二人の違いを見事に書き分けているわけです。
そういう書き分けが可能になるのは、どういう文法上の規則に基づくものなのか、ということに興味がそそられるのですが、この点は、今後も少しずつ考えていくことにします。