56番です。
Recalling a time when I had had a staff of seventeen under me, and knowing how not so long ago a staff of twenty-eight had been employed here at Darlington Hall, the idea of devising a staff plan by which the same house would be run on a staff of four seemed, to say the least, daunting.
to say the least 控えめに言っても(実際はもっと深刻であることを暗示)
daunt 気力をくじかれる 怖がる 威圧される
daunting 人の気力をくじく 非常に困難な きつい おびえさせる
長い文ですが、それほど入り組んではいないようです。が、例のごとく、分解をしてみます。
1 Recalling a time when I had had a staff of seventeen under me,
2 and knowing how not so long ago a staff of twenty-eight
3 had been employed here at Darlington Hall,
4 the idea of devising a staff plan
5 by which the same house
6 would be run on a staff of four seemed
7 , to say the least,
8 daunting.
この文は、-ing を多用して、現在継続していることを強調するとともに、音の響きの良さも狙っているようです。
recalling , knowing , devising , daunting
覚えている、知っている、考えている、へこんでいる
さて、1行目と2行目は、対句のようなパターンになっています。内容も対句っぽくなっています。
when は関係副詞です。というと難しくなってしまうのですが、time が先行詞ですね。「~ところの時のことを覚えている」となるのですが、全部訳せば、
「私の下に、17名もの人員を持っていた、ところの時のことを、覚えているのですが」というように、ing は、「のですが」とやればいいように思います。つまり、
「私も、17名もの人員を指揮していた時代を覚えているのですが」
となります。
2行目の and は、「さらに」とか「もっといえば」とかが考えられるのですが、
knowing は、「知っています」とか、あるいは、直接見ていることではないので、「聞いて(知って)います」と訳せます。
how が面白いと思います。上の when と対応させているのですが、感嘆文の how の使い方にもなっているようです。
とにかく、自分の時代には、17人がいたし、その昔には、もっと大勢の28人がいたこともあるんだ、と感嘆しておこうという魂胆ですね。だから、たった4人でどうやりゃいいんだ、できるわけないよね、と、自分の管理計画の策定能力に問題があるのではなく、むしろ絶対的人員不足に問題があるのだと、責任の所在の可能性を分散しているわけです。
「さらに、それほど遠くない昔には、このダーリントンの邸館には、28人もの人員が雇われていたと聞いておりますが」
と、なります。
4行目は、語順が面白いです。ある意味、迷惑な語順です。この単語を選べばこの語順になるだろうとは思うのですが、日本語ではこの順に訳さない方がいいと思えます。
「管理計画の策定の理想」ではなく、「理想的な管理計画の策定」とします。
5行目の which も、迷惑な単語で、迷惑な使い方です。瀕死的には、もとい、品詞的には、関係代名詞ですが、by の目的語になっているから、先行詞 the same house よりも前に出てきているわけで、先行詞が後になるという例外的な位置関係になっています。
でも、こういうところが英語を母国語とする人たちを感動させ、ノーベル賞を受賞したたわけで、くじけず喜んで訳すことにします。
「その同じ邸館を、四人でうまく走らせるところの、理想的な管理計画の策定は」
となりますね。
残りは、最後の部分ですが、挿入句は辞書にそのまま出ていました。
「控えめに言っても、心がくじけてしまうものでした」
と、なります。
17人とか、28人で管理してきたところを、4人で、しかも、それは精鋭の4人ではなく、寄せ集めの4人でやれというのは、くじけるのは無理もないところですね、とスチーブンスに同情はしますが。
全部通すと、
「思いおこせば、一時は私の下に17人の人員が従事していた時もございました。さらに、さほど遠くない頃には、28人もの人員がこのダーリントンの邸館には雇われていたと聞いております。その同じ邸館を最低限の4人の人員で滞りなく運営するような管理計画を工夫することは、気が滅入るものでございました」
と訳せると思います。