64番です。

 

I spent many hours working on the staff plan, and at least as many hours again thinking about it as I went about other duties or as I lay awake after retiring.

 

セミコロンで切れていた前の文に続く文ですから、内容は説明になっているのでしょうね。

分解してみます。

 

1             I spent many hours working on the staff plan,

2   and at least as many hours again thinking about it as I went about other duties

3                                                                                or as I lay awake after retiring.

 

こんな具合になるでしょうか。

基本構造は、as  ~  as  という文ですが、後ろの as は、or で並列させています。

どこか口数が多いのも、文章の面白さのうちなのだと思います。

 

1行目は、「私は、管理計画の策定に多くの時間を費やしました」で、問題は特になさそうです。

 

2行目の and at least は、その費やし方の程度を言わんとしているようですね。

「そして、少なくとも」なのですが、もっと繋がりのいい言葉を見つけたいところです。

as  ~  as  の方を先に考えることにします。

基本の構造は、as many as ですね。「~と同じくらいの量」ということですが、many の連想で「多くの」というイメージを持ってしまいますが、要注意です。

数えられるものには、many を使い、数えられないものには、much を使うのですが、多くても少なくても、その量の程度を対象にしていることに注意です。

1行目の many は、「多くの」という意味でつかわれており、ここの many とは、ちょっと違うんですね。

後ろの as は二つありますが、or で結んで、二つの状況を並列させています。

 

一つは、ほかの仕事に従事しているときも、頭の片隅では常に考えていることを言っています。

もう一つは、仕事が終了して、自分の自由時間に、ごろっと横になっているときも、かっと目は見開いて考えていることを言っています。

 

「ほかの職務についている時でさえ、また、仕事を終え、自室で横になっている時でさえ、目を見開くほど」

と、言う感じですね。

 

そんなに四六時中、片時も頭の隅からも離さず考えて来たことなのに、それが at least 最低限だといっているわけです。最高の状態なら、どういういい知恵が浮かぶのだろうと期待してしまいます。

あるいは、そんなに考えたにもかかわらず、失敗が続く管理計画しか策定できなかったことが、最低だと嘆いているのかもしれません。こちらでしょうか。

 

いずれにせよ、それをつなぎ合わせると、

「私は、管理計画の策定に多くの時間を費やしましたが、ほかの職務についているときも、また、仕事を終え自室で横になっているときでさえ、目を見開いて何度も何度も考え直してみたのでございます」

となりました。

 

比較とか、程度の表現は、言葉によって独自の言い回しがあるわけで、英語では、接続詞にバリエーションがあるようだし、日本語では、助詞、助動詞がその役目を持っているようだし、表現の構造がは完全に一致しませんね。

頭を悩ますところでもあり、だからこそ面白いとこでもあります。