3 ジュリアス・シーザー 3

 1幕 1場 ローマ市街 3

 

 MARULLUS
What trade, thou knave?
Thou naughty knave, what trade?

SECOND CITIZEN
Nay, I beseech you, sir,
be not out with me; yet,
if you be out, sir, I can mend you.

MARULLUS
What mean'st thou by that?
Mend me, thou saucy fellow!

SECOND CITIZEN
Why, sir, cobble you.


knave                       
     悪漢 ごろつき  
naughty        
     いたずらな  
     行儀の悪い  
       
beseech       
     嘆願する  
  懇願する






saucy      生意気な
    小癪な

cobble
    (靴を)修繕する

 マララス 
だから どんなしごとなんだ。
えぇ、仕事は何なんだ。


住民2
そう、怒らないでくだせえやし。                   わらしの、そこがダメっすかねぇ。                 そこのとこが悪きゃ、すぐ直して                   ご覧にいれますよ。


マララス
そこのとことは、どこのことだ。
ええい、ややこしい、直して見せろ。        
         
         
住民2        
ようがすとも、そこを、このキリでもって、 直すってことでさ。                                     

敬関詞がいっぱい出てきます。 赤字にしたところです。

単語一語の場合は,敬関詞そのままですが、二語以上になれば敬関句という方が、さらに、文の構成になっているようなら、敬関節という方が、違和感はないかもしれません。

敬関詞(句、節)とは、私の造語ですから、一般的ではありませんので、説明します。これから後は、句や節を含めて、敬関詞と総称します。

敬関詞とは、敬意と関係について、話し手が、相手をどのように思っているということを表している言葉だと考えてください。

そういう人に向かって、どのような言葉遣いで話をするか、という方向に導くため、文中での注釈のための言葉と考えたらいいと思います。

敬関詞は、主となる文からは独立しており、間投詞的に挿入されることが多く、それがなくても、文意は基本的には変化しません。

そのため、今までは、「~さんよ」とか、「~のやつめ」というような訳が本体の文に付け加えられる形に訳されることが多かったと思います。

sir なら、「旦那」「お巡りさんよ」とかに訳されていましたし、

thou knave や thou naughty fellow なども、「ごろつきどもよ」とか「行儀の悪い輩め」と訳されることが多かったのです。

例えば、

1行目、What trade, thou knave? は、「どんな仕事なのか、ごろつきどもよ」とか、

2行目、Thou knaghty knave, what trade? は、「悪たれどもよ、仕事は何か」と訳されることが多かったと思います。この2例は、敬関句です。

しかし、これからは、そういう相手に話すときは、どう話すかを考えて、本体の文の用言部分に、その意味を訳し込む方がいいと考えるわけです。敬関詞自体は、「~よ」とか「~め」などと直接訳さないのです。

つまり、

1行目なら、「だから、どんな仕事なんだ」とし、

2行目は、「えぇ、仕事は何なんだ」としたわけです。

この敬関詞は、今後も様々な場面で出てきます。その都度の説明を総合して考えていただけると、私が言いたいことがはっきりすると思います。

 

それとは別に、劇冒頭のこの場面では、観客の集中力がバラバラですから、そこを芝居の進行に集中させるために、わざわざもめごとの場面を作っています。

警備役人のマルラスは言葉を畳みかけるように話していますし、住民もそれに対して、抵抗するように話しています。また、その掛け合いの音の響きが、住民のからかいと警備役人の威圧感とのアンバランスさが面白味となっており、シェークスピア劇の冒頭の訳しどころとなっているようです。

 

SECOND CITIZEN のセリフ、

Nay, I beseech you, sir, be not out with me; 

yet, if you be out, sir, I can mend you.

での out の対象が、最初の自分から、次に相手に移って行って、そこをからかうというやり取りの面白味が、言葉の並べ方にあらわれています。

それはともかく、sir が二回使われています。文が二つあるから当然ですが、なくても十分意味は通じます。

この sir は、敬関詞ですが、今までは間投詞として扱われてきたと思います。

しかし、住民から見て、警備役人は敬意を持つべき相手であることは間違いのない事実で、それなのに半分馬鹿にしていることもまた確かであり、それがこの sir に込められた意味であると考えます。敬関詞と考えることで、それがはっきりすると思います。

 

「お願いしますよ、あっしらは悪かねぇでがしょ。

どっか悪いとこがありゃ、直して差し上げましょう」

と、訳せば、とりあえずいいようですが、me と you が逆転する面白味は消えてしまうので、不満が残ります。

後の方を「どっか悪いとこがありゃ、直して見せますよ」とか「差し上げますよ」でも似たり寄ったりです。

薄緑中の訳では、そこにこだわってみましたが、わらじの「底」と、体の一部分を指す「そこ」と掛けたつもりで、更に、「わたし」を「わらし」と訛らせてみたのですが、原文の面白味とは、全く違っています。