4 ジュリアス・シーザー 4

 1幕 1場 ローマ市街 4

 

 FLAVIUS
Thou art a cobbler, art thou?

SECOND CITIZEN
Truly, sir, all that I live by with awl;
I meddle with no tradesman's matters,
nor, women's matters, but with awl.
I am indeed, sir,  
a surgeon to old shoes;
when they are in great denger,
I re-cover them.
As proper men as ever trod upon
neat's-leather have gone
upon my handiwork.




                       
       
        
       
       
       
       
meddle   干渉する          手を出す
  




trod < tread
  歩く 踏む
     
    


    

 フラヴィアス 
そことはここのことか。
お前は靴直しってことか。

住民2                                                       
底(そこ)直しって言ってるでしょ。
生まれてキリまで、キリ一本。
他人のことも、女のことも、まるきり
気にはなんねぇが、キリがなきゃ、
キリがつかねぇ、当たり前ぇでがすが。   そこんとこ、古靴のキリをぎりぎりまで   伸ばすってことでさぁ。          
そこにフタってのも、妙なもんですが。     「駕籠に乗る人、担ぐ人、     
    そのまた草鞋を作る人」ときて、  草鞋の底を直す人ってのが、わらしでね。  
底の底ですが、底がなきゃ、                     身も蓋もないってことでさぁ。                

 

Thou art a cobbler, art thou? は、付加疑問ですが、肯定否定の形ではなく、肯定肯定の形になっています。これでもいい、となると心強いですが、イギリス人なら許されることかもしれません。

「お前は、靴直しだったのか」ということですが、cobbler なり、cobble なりの音の響きを利用して、観客の集中力を高めていく仕掛けです。フラヴィアスがボケ、住民2がツッコミでしょうか。

 

SECOND CITIZENTruly, sir, all that I live by with awl; というセリフも、簡潔ですが、これ以外にないと思えます。

「キリとともに暮らしてきた今までの人生」ということですが、ひび割れた手のひらのまめやたこが目に浮かびます。

 

次の行、I meddle with no tradesman's matters, nor, women's matters, but with awl. は、m の音を多用しています。

唇をいったん閉じて開くときの破裂音ですから、観客の意識が舞台に注がれるわけです。

こういう掛け合いの仕掛けを通じて、ストーリーにのめりこむのですが、もうすこし仕掛けが続きます。

この文の直訳は、「男のもめごとも、女のもめごとも、キリでは解決しない」から、わしには全く興味がない、というわけです。

 

そして改めて、I am indeed, sir, a surgeon to old shoes; と自己紹介して、その職業意識の高邁な理想を開陳しながら、警備役人の下っ端根性をからかうという場面に続きます。

直訳は、「おわかりでしょうが、わしは靴の外科医でがすよ」ですが、意味は「なんの、しがない靴直しでして」というふりをして、からかうのですが。

こういうのは、セリフとは別に、舞台での所作・振りに現れる部分で、演出家の出番ですね。

 

when they are in great denger, I re-cover them. というセリフも、そうならないようにわしらが丁寧に直してやっているからだぞ、というわけです。

ここでの they は、靴とかわらじのことです。ということで複数になっています。靴本位というか、靴から見て、靴自体の気持ちなり考えを表明していることになります。そこがはがれているというのは、つぎには靴がバラバラになるから、危険な状態なのだといっています。それを直して、未然に防ぐというのが靴の外科医の職務というわけで、だから誇りを持っているんだが、警備役人のお前たちはどうなんだとなるのです。

 

As proper men as ever trod upon neat's-leather have gone upon my handiwork. は、長く履いてばらばらになりそうな靴のことではなく、新品の靴を話題にしています。

新品のきれいな靴だって、それを自慢にしたところで、持ち主が作ったのではなくて、結局はわしら靴職人が作ったものだと、いうことです。

「お偉方が見せびらかすきれいな靴も、結局はおいらがつくったものさ」と訳せます。

 

青部分の原文は、

「なんだ、お前は靴直しだったのか」

「そのとおりでがすよ。キリ一本で今まで生きて来やした。

男のことも、女のことも、キリじゃキリがつかねぇものでごぜぇやす。

わしらはしがない靴直しでして、靴底がバコバコしてりゃ、直すってことですよ。

ご自慢のきれいな靴だって、とどのつまりおいらが作ったものでさぁ」

となりますが、

最終的に薄緑の部分のように訳しました。