114番です。

 

It was thus that I had been able to gain some sense of the sort of place Miss Kenton had gone to live her married life.

 

スチブンスのこういう言い回しにはだいぶ慣れましたが、分解してみます。

 

1   It was thus that

2    I had been able to gain

3                     some sense of the sort of place

4                                                 Miss Kenton had gone to live her married life.

 

文法構造的には、It は仮主語、That 以下が真主語なのですが、thus という状態を際立たせているとも考えられます。

 It was thus that という言葉の塊が、熟語になっていると考えてもいいように思います。そうでなければ、執事用語と考えてもいいかもしれません。最終的には、スチーブンスの口癖とすれば、これから何回出てこようが悩まなくてもすみそうです。

「それはこんなことでございますが、」とか、「つまり」でも、「えーー、そのー」でもいいという気がします。

前の文からのつながりを考えると、ケントンさんが向かった地域の関連する巻を調べて、その素晴らしさに感動して、さらに住むのにも向いているだろうと安心している様子でした。この文では、更にそれを発展させている感じです。

 

be able to という熟語は、教科書以外でもちゃんと使われているのですね。うれしくなります。can を時制の一致で could に変化させると、仮定法っぽくなってしまうので、こちらを使うのでしょうね。ここでは、何らかの感情が湧いたのは事実として表現したいので、直説法で書きたかったわけです。

 

some sense of the sort of place は、微妙な感情をうまく表現していると思います。うまいこと訳したいところです。

「何とも言えない気持ち」とか「その地が近づいたような気持ち」という感じです。

 サイモンズ夫人の著作は。名所旧跡を行きたくなるように紹介しているはずですが、そこでの実際の人間的な生活までは、直接説明しているとは思えません。その辺りがスチーブンスの関心があるところなのですが、さて。

 それはともかく、何らかの感慨を得ることができたというわけです。

 

4行目は、had gone to live と不定詞が使われています。

一つの文(節)は、動詞が一つというのが鉄則です。

ここでは、go という動詞を使ってしまっていますから、二つ目の動詞 live は不定詞にならざるを得ないのです。

あるいは、to の代わりに接続詞 and を使って、つまり文を二つにすることになるのですが、そうすれば、go も live も使うことができます。had gone and live とするわけです。

日本語では、複合動詞という便利なものがあるのですが。

「ケントンさんが行ってしまって、そこで結婚生活を送っている」というのが直訳です。

 

 というところで、どう訳しましょうか。