150番です。
But then I really don't know it's right for me to be helping you with such dubious assignation.'
ファラディさんのセリフの続きですね。文末にアッポストロフィの片割れがあります。それほど複雑ではないようですが、分解をしてみます。
① But then I really don't know (that)
② (that) it's right for me
③ to be helping you with such dubious assignation.'
こんな感じになりますね。
前の文は、若さの秘訣かな、と、ファラディさんはスチーブンスをおだてていました。それはもう冗談路線にはいっていることを意味しています。その延長線上のセリフです。
若さの秘訣なのですから、一般的には、じゃあ、見習うことにしよう、となってここで終わりですが、ファラディさんはチャンスを見逃しません。その程度では勘弁してくれないところがアメリカ人ということでしょうか。そうして見逃さないとどうなるかがこの文です。
1行目の終わりと1行目の始めに that を補ってあります。この that は同じものなので、二つ書く必要はありません。が、①と②では、文法的役割が違っていますので、二か所に同じものを補ったというわけです。
同じものだけど、文法的役割が違うというのが、関係代名詞のなかに「関係」という言葉が使われている理由です。
1行目の終わりにある thatの文法的役割 は、他動詞 know の目的語になっていることです。
「それを思わない」とか「そんな風には思わない」と、なりそうです。
2行目の始まりにある thatの役割 は、it's 以下文末まで全体の内容を指す代名詞になっています。
「そのようないかがわしいおぜん立てに私が手を貸すことが正しいこと」となります。
that を仲立ちさせると、
「そのようないかがわしいおぜん立てに私が手を貸すことが正しいこことは、思えない」となります。
一つの that が、それぞれの文で違う役目を果たしています。一つの言葉で二つの役目を兼務しているものを、文法用語では「関係代名詞」というわけです。
ところが、その名前から受ける印象ほど、内容的な意味では重要な役目をしているわけではないところが弱みです。
どちらかというと、文法の顔を立ててやりたいけど、内容の顔を考えると、あってもなくてもいいね、ということになって、結局、この関係代名詞 that は省略されてしまうことが多いのです。
ここでは、省略されてしまっています。
この点、日本語では、連用形とか、連体形とか、用言体言に直接結びつくことができる活用形を持っているので便利だと、私は思っています。
②③は、一つの文ですが、it は仮主語で、新主語は、to be helping you です。
「そのようないかがわしい企てに手を貸すことが正しい」となり、
その内容をthat で受けておいて、そのthat は省略しているわけです。
ということで、
「それにしても、そういう企てのおぜん立てに私が手を貸すというのは、もっともなこととは思えないが」
としました。