223番です。
I must say, I was rather disappointed, for I would like to have discussed the bantering question with him.
面白い文章だと思います。というのは、特にコンマで区切らなくて、べたっとつなげて書いても問題はないと思うからです。もちろん、コンマで分かれていれば、区切りが明らかになっているわけで、それだけ助かりますが。
ここは、スチーブンスが考え考え話している様子が浮かんでくるという読者に対する効果をカズオイシグロが意識しているように感じます。スチーブンスが、グラハムさんが仕事を辞めて、あるいは辞めさせられて、今は消息がつかめないという、明日は我が身という状況に動揺している、ということを書きたかったのではないかと思うわけです。
時代はどんどん変わっていて、ダーリントン卿はもう亡くなっていますが、そういう爵位を持った人々の存在の意味も変わってきており、ダーリントンの邸館の役割も変わって、すなわちスチーブンスのような執事や召使の存在意義も変わってきています。そういう風前の灯のような危うさを、スチーブンスは感じているのではないでしょうか。
そういう思いが、たどたどしいものの言い方に、コンマで区切られた言い方になっていると思います。
つまり、昔のダーリントンの邸館がにぎやかだった頃、つまりスチーブンスの仕事が充実していたころが懐かしく、もう一度あの頃に帰っていけないものかと考えている様子が浮かびます。「日の名残り」なのです。
コンマの気切りに従って、分けてみましょう。
① I must say,
② I was rather disappointed,
③ for I would like to have discussed the bantering question with him.
となります。
文法的には、①と③が連続した一つの文で、そこに②が挿入されているということです。
①の say は自動詞で、それに助動詞 must がくっついているというSVの文型で完結しています。そして、③の for で導かれる前置詞句が、理由を表している構造です。
for は前置詞としましたが、辞書には接続詞とも出ています。接続詞と考えてもいいと思います。ただし、やや古い言い方とのことですが、スチーブンスはその古めかしさが好みかもしれません。こう考えたときには、①が主節で、③が従属節ということになります。②が挿入節であることは同じです。
ということで、特に何かが省略されているのではないのですが、ぱらぱらとした印象になっています。もっともそれが、スチーブンスの気持ちに沿っているところのように思います。
①は、「私は言わなければならない」ですし、
②は、「私はむしろ落胆した」ですし、
③は、「というのも、彼と冗談問題を議論できたことがしたかったのに」ですから、これらをつなげば、良さそうです。
③の to have discussed は、完了形になっています。would like の時制より一つ前の時制になっているいるわけで、その分現実から遠くなっている、すなわち空想のレベルが高くなっているわけですが、訳としては特に工夫がいるということではありません。
というところで、
「正直に言えば、私はがっかりしたところですが、冗談についての彼の考えをじっくり聞けると楽しみにしておりましたからでございます」
としました。