1-18です。

 

And even when I had assured myself I was on the right road, I felt compelled to stop the car a moment to take stock, as I were.

 

スチーブンスは、見慣れない景色になった理由が、今までとは異なる環境の地域に突入したせいなのか、それとも道を間違えているせいなのかと、疑心暗鬼になっているようなのですが。

というところで、いつものように分解します。

 

① And even when I had assured myself I was on the right road,

② I felt compelled to stop the car a moment to take stock, as I were.

 

compel   無理に~させる せずには~いられない

take stock  よく考えてみる

as it were   いわば  辞書にはこの形で熟語として出ていましたが、

           仮定法として考えてもいいと思います。

           間違えたのではないかと想像している状態なので、仮定法を

           使っているわけです。

 

今回は、いつもより長めに分解しました。

いつもなら、①は

And even when I had assured myself

I was on the right road,

と二つに分けていそうですが、文が二つ連続しています。二つ目の文の前に that をおぎなってやれば、前半の文は SVOO の形になって落ち着きます。

「そして、ちゃんと私自身に保証するために」となって、何を保証するのかと言えば、

「私は正しい道の上にいること」ですね。

つまり、

「私は正しい道を通っているのだと自分自身に保証になるようにと」

という感じです。

「自分自身に正しい道を走っているのだと言い聞かせながらも」

です。も、をつければ、even の感じが出ますね。

 

②は compel で、肯定的に訳すか、否定的に訳すかですが、否定的に訳した方が日本語らしく感じますね。ということで、

「私はいったん車を止めて確かめてみずにはいられませんでした」

となり、その前に

as it were の「本当に正しい道かどうかを」確かめたのですから、その行動は「あたりの様子を確かめた」わけですから、そういう具体的な行動の様子をつけ加えればいいと思います。「あたりの様子を(確かめた)」

 

まとめれば、

「私は正しい道を通っているのだと言い聞かせながらも、いったん止まってあたりの様子を確かめずにはいられませんでした」

としましたが、

「私は正しい道を通っているのだと言い聞かせながらも、いったん止まって本当に正しいかどうかを確かめずにはいられませんでした」

の方が仮定法を訳しているという感じがします。

くりかえしが多くなりますが、さて。