162番です。
Now while I would accept that the majority of butlers may well discover ultimately that they do not have the capacity for it, I believe strongly that this 'dignity' is something one can meaningfully strive for throughout one's career.
長い文です。しかも教室では、6月25日にここまで進んでいます。ブログの方が遅れているので、一寸焦っています。
それはともかく、分解します。
① Now while I would accept that
② the majority of butlers may well discover ultimately that
③ they do not have the capacity for it,
④ I believe strongly that
⑤ this 'dignity' is something
⑥ one can meaningfully strive for throughout one's career.
このように分解しました。
今回は、関係代名詞はすべて前の文の目的語であると解釈して、前の文の後ろに置きました。
③までが仮定法の条件文、④以降はそれに対する帰結文と考えればいいようです。
訳は②から始めればよさそうです。
「執事の大多数は that 以下のことを やがて 気付くことになるかもしれない」
ですが、この部分は直説法で書かれています。
つまり、現実のことです。may well かも知れない となっていても、ここは事実だとカズオ・イシグロは言いたいのですね。
それに対して、私スチーブンスのセリフは would accept と仮定法で書かれています。つまり、ここは想像を表していて、まあそれを認めるとしても、という譲歩を表しているわけです。この仮定法と直説法の使い分けが面白いところです。
that 以下は③で説明されていて、
「彼らが その能力を もっていないこと」
ですが、they は the majority of butlers です。
ここまでは
「執事の大多数は 彼らが その能力を もっていないことを やがて 気付くことになるかもしれない」
という事実を、私自身が受け入れることは仮定法で記述しているので、①は
「私が that 以下のことを受け入れる」
と訳せます。
accept は「受け入れる」ですが、「分かる」「思う」あたりでよさそうです。
ここまでをまとめると、
「執事の多くが 結局のところ その力量がないことを 悟ることになるかもしれないと思いますが」
となります。
力量がないと分かったら、じゃあ止めてしまおうと考えるのではなくて、それでもなお、努力すべきだというのがスチーブンスの考えです。それが④以下です。
④は、
「私は強く信じています」
でよさそうで、⑤と⑥が信じることの目的語ですが、
「この品格というものは、人の一生を通じてそれを求めて 努力することは 意味があることだと 私は強く 信じています」
となります。
というところでまとめると、
「執事の多くが 結局のところ その力量がないことを悟るかもしれないと思いますが、一生を通じて品格というものを求めて努力することは意味あることだと私は強く信じています」
となります。
これで、教室にブログが追いついたことになります。