167番です。
I would like, if I may, to try and say here what I think this 'dignity' to be.
今回は短い文です。が、英文の面白さが詰まっているように思います。
短い文とはいえ、仮定法と直説法が同時に表現されているからです。
つまり、想像と現実が助動詞の違いで表されています。具体的には、would と may
の違いです。
① I would like to try and say here what I think this 'dignity' to be.
② if I may (try and say here what I think this 'dignity' to be.)
という二つの文に分けてみると
構造的には、①の帰結文が仮定法 would で表現されており、まだ現実にはなっていない事柄、つまり想像の段階の事柄を、希望として表現しています。
それに対して、②は仮定部分を直説法にして、話者の現実の姿勢を表現しています。
つまり、
①は、
「私は、私が考えるこの品格なるものを表現することを試みることを願っている」
となり、まだそういうことは実現しておらず、希望や目標の段階であること、すなわち想像、心の中で思っている段階であることを表現しています。
それに対して、② if I may は、かもしれない、という訳になってしまうのですが、
現実にそういう行動を起こしている、その目標に向かって行動を始めている
という現実性が重要となってきます。
仮定法は、想像、頭の中で考えていること、を表わし、それに対し、
直説法は、現実、目で見えること、を表している、
という違いが、この文の面白さというわけです。
というところで、
「私は、できるならば、私が思う、この品格というものがなんであるかをうまく言い表してみたいと思っています」
としました。
が、現実と想像をうまく訳せたかとなると疑問です。これは,訳し手の力量不足ももちろんですが、日本語の表現の根本は、現実性ではなく、関係性、つまり、相手と自分との関係性、または全体の中で自分の位置の表現に関心があるということが大きな要素です。
言語の表現目的が違うということが、その原因になっていると私は思うのですが。