170番です。

 

But you may think me merely biased if I say that my own father could in many ways be considered to rank with such men, and that his career is the one I have always scrutinized for a definition of 'dignity'.

scrutinize 綿密に調べる 吟味する

 

今回の文は長いのですが、そんなに複雑ではないようです。まず分解します。

 

① But you may think me merely biased

② if I say

③ that my own father could in many ways be considered to rank with such men,

④ and that his career is the one I have always scrutinized for a definition of 'dignity'.

このように分解しました。

 

①は、may を使っていますが、直説法の文です。

また②も、if を使っていますが、直説法です。

③は、②の I say の目的語(節)ですが、could が使われており、仮定法、つまり頭で考えた想像の事柄の文として書かれています。

④は、文法的には③と同じで、②の I say の目的語(節)となるのですが、is という動詞は直説法で書かれています。ここは事実として書かれているわけです。

カズオ・イシグロは、事実と想像をかなり区別して書いているようで、訳すときも、その区別をする必要があるようです。

 

①は、

「しかし、あなた方は 私が 偏向していると 考えるかもしれません」

です。「かもしれません」、というのですが、それは直説法で、事実として書かれている「かもしれません」なのです。

 

②は、自分の実の父親が、

「言うとしたら」

という仮定の接続詞を使っているのですが、事実を表す直説法になっています。

この仮定は、事実だということで、仮定ではないということです。

英語の本質は、事実,すなわち、目で見えることと、仮定、すなわち、頭で考えたことを区別するということにあります。それが、直説法と仮定法という動詞の形に現れます。

 

③は、could を使っており、スチーブンスが頭の中で、つまり想像で考えていることを表しています。受動態の仮定法というわけで、直訳は入り乱れますが、

「自分の実の父親が、どの面からでも そういう人たちと 同列に処されていると 考えられる ことができるだろう」

となります。

 

④は、途中 the one の後に、関代 that を補って考えると、

「父の経歴は、私が「品格」の定義に対して綿密に調べた ところのもの である」

となります。

and that は、文法的には、③と同じ要素となるのですが、理由として訳した方が落ち着くかもしれません。

 

というところで、

「しかし、私が身びいきしているとお考えになるかも知れませんが、私の実の父親は、「品格」の定義に照らして考えても、父の経歴はそういう人たちと同列であると考えることができるのではないでしょうか」

としました。