180番です。
I am sorry to say this, but there would appear to have been a number of houses in recent times, some of the highest pedigree, which have tended to take a competitive attitude towards each other and have not been above 'showing off to guest a butler's mastery of such trivial accomplishments.
今回も長い文です。分解してみましょう。
① I am sorry to say this,
② but there would appear to have been a number of houses in recent times,
③ some of the highest pedigree,
④ which have tended to take a competitive attitude towards each other
⑤ and have not been above 'showing off to guest a butler's mastery of such trivial accomplishments.
という風に分解できそうです。
①が主節ということになるのですが、文の構造としてはほかの部分に依存しているわけではありません。
this がつぎの、つまり②以下の内容を意味しているので、つながるのです。
「こんなことを言うのは申し訳ないのですが」あるいは「情けないことに」
と訳すのが順当ですが、スチーブンスは②以下のことを嘆いているわけです。
「ですが」とか「ことに」のように、反節的な言葉を使ったのは②の but を意識したからです。
②は、but で接続しているので、文法的には①と依存関係はなく、意味内容の異なるものを同じ立場で、すなわち等位で結んでいます。
there would appear to have been は、there is 構文の appear 変形版の、さらに仮定法形ということになるものです。終わりに to have been という完了形の不定詞が来るので、be動詞が重なるのを避けるために、be 動詞を appear に変えたと考えられます。
「最近になると、多くの 家々に なってきた と見える ようです」
と直訳できます。would は仮定法ですが、ここでは丁寧さの表現と考えればいいと思います。つまり、
「最近は、というような家々が増えてきたようでございます」
とすればよさそうです。というような、は関係代名詞 which で④で説明されますが、その前に、③が挿入されています。
③は、現実の程度のひどさを表しているのですが、スチーブンスの怒りが分かります。
「あろうことか、由緒ある家でまで」
としましたが、あろうことか、は実際には書かれていませんが、①の「情けない」から類推すると、このような訳もありかなと思います。
④と⑤は、対句になっています。どちらも完了形で対を成しているのですが、④の方は肯定形で、⑤は否定形になっています。
関代 which の先行詞は、かなり前にさかのぼることになり、②の number of houses です。
「お家どうしが競争するようになってきて」
です。
また、⑤の、引用符で囲まれた言葉は、スチーブンスの造語を表しており、
「見世物芸人風執事」とでも訳せます。
そういう人が獲得し、演じている芸、が mastery というわけです。それが、アッポストロフィS として、所有の対象になっています。
have not been above は、「それ以上のものではない」ということですから、全体は、
とりあえず一所懸命の努力を重ねて得た話術や知識を披露する執事に対して、
「そのような本筋とは離れた『見世物芸人風執事』の能力以上のものではないもの」
と訳しておきます。
trivial accomplishments は、本筋とは離れた能力、がいいと思います。
受け狙いの表面的な能力より、執事としての本質的な能力の方が大事であるし、雇主までもその本質を忘れてしまって筋違いのことを喜ぶようになってしまっていると、スチーブンスは嘆いているのですね。
というところで、まとめると、
「情けないことですが、由緒のある家も含めて、最近は多くの家々で、そのような本筋とは離れた『見世物芸人風執事』の能力以上のものではないものを競うようになってきたのです」
としておきます。