186番です。

 

There was a certain story my father was fond of repeating over the years.

 

今回は、浮く雑な文ではなく、分解すれば理解できる、文法の教科書に乗せたいような文です。

ということで分解です。

 

① There was a certain story

② my father was fond of repeating over the years.

 

①は there is 構文の過去形です。a certain story が主語で、

「ある話がありました」

と訳して問題はありません。

 

で、その話とは何かを説明しているのが、②です。先頭に that または which を補って考えれば、その関係代名詞の先行詞として ①の a certain story があり、そこにかかっていることが分かります。

be fond of ~ は、前置詞の熟語として、教科書には出てくる奴で、超有名です。

で、その of の目的語として、repeating という動名詞が使われています。

over the years は、何年もの間、何年にもわたり です。

 

というところで、

「私の父は 繰り返すこと が 好きであった (ところの)」

となって、①へかかっていくわけです。

 

まとめれば、

「私の父は、そのころ 好んで繰り返していた 話がありました」

となります。

 

あとは、何を感動の中心として伝えたいか によって、使う言葉が変わって来て、さらにどの順で伝えるか によって、言葉ぼ並べ方が、人によって変わってくることになり、訳がそれぞれ異なったものになるというわけです。

日本語として、おさまりがいい、ということも重要な訳の分かれ道になります。

 

どんな訳になったでしょうか。

 

 

 

 

185番です。

 

If I try, then, to describe to you what I believe made my father thus distinguished, I may in this way convey my idea of what 'dignity' is.

 

長いような短いような。分解してみます。

 

① If I try, then, to describe to you (what)

② what I believe made my father thus distinguished,

③ I may in this way convey my idea of what 'dignity' is.

 

このように分解しました。

なかなか珍しい文だと思います。

というのは、この文は仮定法現在形と考えることができ、条件節が If I try to describe という現在形で、将来の仮定を表現しています。

「あなた方に これから 説明しようと しているのは」となりますが、

過去の仮定は過去完了形、現在の仮定は過去形、将来の仮定は現在形、というように、仮定する帰結節の時制に応じて、一つずつ条件節の時制を前にずらす、というのが仮定法の原則ですから、if 節の動詞が現在形なら、将来の出来事を仮定していることになります。

仮定というのは、頭の中で思っていること、つまり想像していることです。

①の動詞は、If I try ですから、将来に、つまり、これから試みる ことを仮定しているわけです。これが全体の条件文になっていて、③の帰結文に対応しています。。

気分としては、相手の意向を尋ねている、というような丁寧な感じが出てきます。

特にこの辺りは、執事であるスチーブンスが、「品格」について語っている場面ですから、よけい丁寧な物言いになるのは当然ですね。

 

文の構造的には、最後の (what) が describe の目的語になっていて、それが先行詞となって、次の②に関係しています。次の②では、この what が主語になっています。 

 

で、②へ行くと、what I believe となっていて、「私が信じている こと」と表現されていて、これ全体が主語です。つまり、動詞は made 、目的語は my father 、目的補語が thus distinguished という SVOC の文型です。

I believe は、 I think ぐらいでいいのでしょうが、ちょっと重い言葉を使っています。敬語と考えたらいいと思います。

「父が このように人とは異なる存在に 何が させたか と私が信ずる こと」

と全部の言葉を使って直訳できます。

「thus このように 」というのは、前の文までで描写していたスチーブンスの父親が、話し方は下手なほうで、知識もあるほうではなかったが、執事としての能力は抜群であり、若くして品格も備えていたという様子を表しています。しかもそれは努力により得られたもので、近頃はエネルギーの使い方がおかしいとも言いたいわけです。

 

③ですが、これは帰結文で、将来の出来事に関して、一つ前の現在形という時制を使っていると考えられるのですが、形からは直説法と変わりはありません。が、仮定法は自分の考えを話していいですか、という相手に対して許可を得るという行為が感じられ、丁寧さがにじむ文になります。

討論などで、自分の考えを言うときには、いちいち相手の許可など聞かないものですが、そこをわざわざ訪ねるというのは、相手に対する敬意の表れで、言葉遣いからなんとなく敬語的なものを感じます。

in this way は、「このやりかたで」ということですが、「これとともに」とか「同時に」といった感じの言葉だと思います。

convey は、運ぶ、運送する、伝える、などが辞書に出ていますが、運ぶことが伝えることになる、という感じがします。

 

とうところで、

「それでは、私の父が際立つことになったことを お話ししようと思いますが、それは同時に 品格とは何かを お話しすることになると思います」

としました。

さらに、

「私が、何が父を際立った執事にしたか、について、考えていることをお話しすれば、それは品格というものが何かをお話しすることになるかもしれません」

とすれば、現在の仮定っぽいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

184番です。

 

And I would maintain that for all his limited command of English and his limited generalとかぎられた knoeledge, he not only knew all there was to know about how to run a house, he did in his prime come to acquire that 'dignity in keeping with his position', as the Hayes Society puts it.

 

今回は長いですね。といっても結局は複文などがたくさんあるということですから、落ち着いて分解をしてみます。

 

① And I would maintain that

② for all his limited command of English and his limited general knoeledge, he not only knew all there was to know about how to run a house,

③ he did in his prime come to acquire

④ that 'dignity in keeping with his position', as the Hayes Society puts it.

 

こんな風に四つに分解しました。

①が主節です。that 以下の、つまり②以下のことを、保持する と言っています。would は仮定法です。将来にわたって、that 以下の考え方を持ち続けますよ、というスチーブンスの宣言です。保持するのは、未来にわたってする行動なので、現実に、今その行動が目に見えることではなく、頭で考えているだけのことです。だから仮定法を使うわけです。

「私は、次の考えを 持ち続けたいと 思っています」

と直訳できます。日本語に訳すときは敬語として訳すといいと思います。

「ていたことを申し述べたいと存じます」

という感じでよさそうです。

 

で、どんな考えかと言えば、それが②、および③で、④が説明的にくっついています。

②は、for から knowledge までは長いけれど、前置詞句です。for という前置詞ですから、理由とか譲歩ということになると思います。

「限られた文章能力と限られた知識能力のために」

となり、

「文章力も知識量も限られたものでしたが」

とすればいいと思います。

 

次の he not only knew all が本体ですね。not only は、ばかりでなく、という奴ですが、相手になる but also はここにはありません。

「すべてを知っているばかりでなく」

と訳せます。

all は先行詞で、次にthat を補うと分かりやすいかと思います。

all (that) there was to know about how to run a house

「いかに運営するかについて知ることがあり、そのすべてを 知っていた」

となります。there is 構文があるようで、その過去形です。to know という不定詞がこの文では主語になります。直訳すれば、

「お屋敷の運営をいかにするかについて 知るべきことがあり、そのすべてを」

となります。

 

さらに、but also で導かれるはずの文が、次の③です。

in his prime というのは、「絶頂期に」ということですが、気力も体力も充実しているときは乱暴になったり横柄になったりしやすいものですが、そんな時に

「そればかりか、父は絶頂期に「品格」というものを体得していた」

となり、そこへ④が説明として付け加わっています。

「ヘイズ協会が言うところの 立場に応じた品格を」

となります。

 

というところで、

「父は文章力も知識力も限られたものでしたが、父はお屋敷の運営方法に精通していたばかりでなく、ヘイズ協会が言うところの「地位に応じた品格」というものを若くして身につけていたことを申し述べたいと存じます」

としました。

 

 

 

 

183番です。

 

My father, as I say, came of a generation mercifully free of such confusion of our professional values.

 

今回は短い文です。分解の必要はなさそうです。

 

as I say は、「私が言うとき」、「私から言わせれば」、というような感じです。

自分たちの世代と、父親の世代とを比較しようとしているのですね。

 

come of は、辞書には「出である」とか「に属している」と出ています。つまり、同じ立場である大勢の中の一人というようなことです。

 

ということで、

「私の父は、幸運にも職務的価値観の混乱とは無縁の世代に属していたと、言えるでしょう」

としました。もっといい訳があるとは思います。

 

職務的価値観の混乱とは、執事としてのお屋敷の運営技術などの基本職務をまず習得すべきか、そこを訪ねてくるお客様の満足を確実なものにするか、という職務の優先順位の問題だと思うのですが、スチーブンスは受け狙いはダメだという姿勢なようです。

 

 

 

 

 

182番です。

 

In one regrettable case, which I myself witnessed, it had become an established sport in the house for guests to ring for the butler and put to him random questions of the order, say, who had won the Darby in such and such year, rather as one might to a Memory Man at the music hall.

 

長い文です。落ち着いて分解することにします。

 

① In one regrettable case,

② which I myself witnessed,

③ it had become an established sport in the house for guests

④ to ring for the butler

⑤ and put to him random questions of the order,

⑥ say, who had won the Darby in such and such year,

⑦ rather as one might to a Memory Man at the music hall.

 

こんな感じに分解しました。それぞれはそんなに長くありません。つまり、見かけほど複雑ではないと考えられます。付け加えてことなどを挿入した結果、文が長くなったようですね。

 

①から訳していけばよさそうです。one は、181番の文で「多くの例を耳にしている」と言っていましたが、そのうちの一つ、という感じです。

「ある残念な出来事がありました」

で、良さそうです。

 

で、こんどのこれは、聞いたのではなく、自身が実際に目にしたした case だと確認するのが②です。which は関係代名詞で、先行詞は①の case です。

「私自身が目にしたことですが」

です。

今までは、聞いていること、だったのですが、今度は、実際に自身が見てしまったのだと、スチーブンスの無念さを表現しています。

 

③は、it は仮主語です。真主語は、今回は不定詞です。④と⑤の二つの不定詞が真主語です。とりあえず訳してみると、

「そのお屋敷では、お客様に向けた 確立された余興に なって おりました」

です。

 

主語の一つ④ to ring は、不定詞ですが、もとは動詞 ring ですから、この動作をする主体があるはずで、それが「意味上の主語」すなわち③の最後の for guests です。

「(お客様が)執事を呼びつけて」

となります。

もう一つ⑤ put ですが、等位接続詞 and で結ばれています。本来ならば、to put と不定詞の形になっているべきですが、続く to him にも前置詞 to が重なるので省略したと考えられます。

order は、レストランなどでの「オーダー」つまり注文ですから、お客の希望、と考えれば、「ご希望の」あたりがよく、

「(お客が)ご希望の 任意の 質問を 彼に 投げかける」

となりますが、「いきあたりばったり」とか、質問が執事の不意を突いている感じが薄くなるのが残念です。

「ご注文の質問を何でも投げかけて」

ということです。

 

⑥は、その一つの例をあげて、say は、「言うならば」で「例えば」ですが、

「例えば、これこれの年のダービーで勝ったのはだれか」

とか、となります。

 

そんなことは、執事のすることじゃなく、まるで・・じゃないかということで⑦の文になります。

この部分は、might という仮定法を表す助動詞はあるのですが、動詞は省かれています。be とか become あたりを might と to の間に補ってみると分かりやすくなります。怒っているスチーブンスの気持を表しているようです。仮定法を使って、動詞を省略して、そういう怒りを表していると考えられます。

そういう風に思っているわけですね。

「あたかもまるで 見世物小屋にいる 記憶男 になっている ように」

と訳せます。

余興として、お屋敷の恒例なっていることは事実で、スチーブンスもちゃんと見たことなのですが、記憶男云々はスチーブンスの想像ですから、仮定法になっているわけです。

 

というところでまとめると、

「ある残念な出来事がありました。私が実際に見たことですが、あるお屋敷では、お客を喜ばす恒例の行事になっていて、執事を呼びつけて、好きな質問を、例えば、これこれの年のダービーで勝ったのは誰か、などを答えさせていたのですが、そんなことは見世物小屋で記憶男がやることではないでしょうか」

としました。

 

 

 

 

 

 

181番です。

 

I have heard of various instances of a butler being displayed as a kind of performing monkey at a house party.

 

今回は短い文です。が、やはり分解をしてみます。

 

① I have heard of various instances of a butler 

② being displayed as a kind of performing monkey at a house party.

このように二つに分解しました。

 

①が、中心になる部分です。主節と言いたいところですが、butler の後ろにwho is あたりを補って考えると、ここが従属節という形になるので、本体は主節と呼べるようになります。

動詞 have heard は、現在完了形ですが、過去の経験を表しているというやつですね。

「聞いたことがある」でいいと思います。

hear は自動詞ですが、前置詞 of をつけると他動詞になると考えたらいいようですね。

「執事に関する様々な例を聞いたことがある」となります。

で、どういう執事かと言えば、butler の次に関係代名詞 who is を補ってやると②の as へつながって、修飾関係が分かります。

 

②は、as が前置詞として使われた前置詞句です。

as は、接続詞、副詞、代名詞、前置詞として使われるので、注意をした方がいいですね。

being displayed は受動態として、butler にかかっています。

「見世物になっている」執事となります。

で、どのように見世物になっているか、ということが as 以下です。

「お屋敷の催事で猿回しの猿の一種のように見世物になっている」執事

という訳になります。

 

ということでまとめると、

「私は、お屋敷の催事でさs瑠回しの猿のように見世物になっている執事の例を耳にしております」

となります。

 

 

 

 

 

180番です。

 

I am sorry to say this, but there would appear to have been a number of houses in recent times, some of the highest pedigree, which have tended to take a competitive attitude towards each other and have not been above 'showing off to guest a butler's mastery of such trivial accomplishments.

 

今回も長い文です。分解してみましょう。

 

① I am sorry to say this,

② but there would appear to have been a number of houses in recent times,

③ some of the highest pedigree,

④ which have tended to take a competitive attitude towards each other

⑤ and have not been above 'showing off to guest a butler's mastery of such trivial accomplishments.

 

という風に分解できそうです。

 

①が主節ということになるのですが、文の構造としてはほかの部分に依存しているわけではありません。

this がつぎの、つまり②以下の内容を意味しているので、つながるのです。

「こんなことを言うのは申し訳ないのですが」あるいは「情けないことに」

と訳すのが順当ですが、スチーブンスは②以下のことを嘆いているわけです。

「ですが」とか「ことに」のように、反節的な言葉を使ったのは②の but を意識したからです。

 

②は、but で接続しているので、文法的には①と依存関係はなく、意味内容の異なるものを同じ立場で、すなわち等位で結んでいます。

there would appear to have been は、there is 構文の appear 変形版の、さらに仮定法形ということになるものです。終わりに to have been という完了形の不定詞が来るので、be動詞が重なるのを避けるために、be 動詞を appear に変えたと考えられます。

「最近になると、多くの 家々に なってきた と見える ようです」

と直訳できます。would は仮定法ですが、ここでは丁寧さの表現と考えればいいと思います。つまり、

「最近は、というような家々が増えてきたようでございます」

とすればよさそうです。というような、は関係代名詞 which で④で説明されますが、その前に、③が挿入されています。

 

③は、現実の程度のひどさを表しているのですが、スチーブンスの怒りが分かります。

「あろうことか、由緒ある家でまで」

としましたが、あろうことか、は実際には書かれていませんが、①の「情けない」から類推すると、このような訳もありかなと思います。

 

④と⑤は、対句になっています。どちらも完了形で対を成しているのですが、④の方は肯定形で、⑤は否定形になっています。

関代 which の先行詞は、かなり前にさかのぼることになり、②の number of houses です。

「お家どうしが競争するようになってきて」

です。

また、⑤の、引用符で囲まれた言葉は、スチーブンスの造語を表しており、

「見世物芸人風執事」とでも訳せます。

そういう人が獲得し、演じている芸、が mastery というわけです。それが、アッポストロフィS として、所有の対象になっています。

have not been above は、「それ以上のものではない」ということですから、全体は、

とりあえず一所懸命の努力を重ねて得た話術や知識を披露する執事に対して、

「そのような本筋とは離れた『見世物芸人風執事』の能力以上のものではないもの」

と訳しておきます。

trivial accomplishments は、本筋とは離れた能力、がいいと思います。

 

受け狙いの表面的な能力より、執事としての本質的な能力の方が大事であるし、雇主までもその本質を忘れてしまって筋違いのことを喜ぶようになってしまっていると、スチーブンスは嘆いているのですね。

 

というところで、まとめると、

「情けないことですが、由緒のある家も含めて、最近は多くの家々で、そのような本筋とは離れた『見世物芸人風執事』の能力以上のものではないものを競うようになってきたのです」

としておきます。