148番です。

 

It was made clear, furthermore, that the society did not regard the houses of businessmen or the 'newly rich' as 'distinguished', and in my opinion this piece of out-dated thinking crucially undermined any serious authority the Society may have achieved to arbitrate on standards in our profession.

crucially 決定的に ゆゆしく

undermine 徐々に衰えさせる 傷つける

arbiterate 仲裁で解決する

 

長い文ですが、表現に使われている単語が細かな違いを言いたいために長くなってしまったという感じですね。

とはいえ、まず分解してみましょう。

 

⓵ It was made clear, furthermore, 

② that the society did not regard

    the houses of businessmen or the 'newly rich' as 'distinguished',

③ and in my opinion

④ this piece of out-dated thinking crucially undermined

       any serious authority

⑤ the Society may have achieved to arbitrate on standards in our profession.

 

このように分解しました。

 

⓵は、

「さらに、そのことが 明らかになった」

ですが、It = ②のthat 以下 で、仮主語と真主語ということです。

was made clear は、使役動詞 make の受動態版というわけで、「はっきりした」です。

 

②は、変則的なSVOCの文型で、

Sが、the society

Vが、did not regard

Oが、the houses of businessmen or the 'newly rich' 

Cが、as 'distinguished'

と考えればいいと思います。

このCに関しては、前置詞 as で始まる前置詞句全体を名詞と考えるといいと思います。世の中でよく使われる、いわゆる「みなし名詞」と考えるわけです。訳は、

「協会は、商売中心の家 または 新興の家 は 名家 とは 認められない こと」

となります。

つまり、世間に対して、商工業で地位を確立した資本家(商業資本)や金融業で地位を確立した資本家(金融資本)は、爵位を持つ貴族(古い地主資本あるいは領主資本)の仲間には入れてやらない、と門戸を閉じてしまったわけです。世の発展を理解できなかったようです。こういうときの流れが、日の名残りというわけですね。

しかし、そのことが 明らかになり、こう言い切ってしまうと協会に反発が出るのは自然の成り行きですが。

 

③以下は、そのことが明らかになったことに対するスチーブンスの考えです。

「そして、私の考えでは」「それを聞いて、私が思うには」

で、スチーブンス本人の考えが④以下に書かれています。

 

④ this piece of out-dated thinking crucially undermined

       any serious authority (that)

⑤ the Society may have achieved to arbitrate on standards in our profession.

 

④は、このブログの横幅の関係で、一行に書けないので二行になりましたが、SVOの文型で、that を補ってやると⑤とのつながりが分かりやすくなります。

主語は this piece of out-dated thinking で、

動詞が crucially undermined で、

目的語がany serious authority (that) ですね。

 

目的語は、補ってやった関係代名詞 that を介して⑤に繋がります。

「協会が 我々の職業において 職責遂行の基準に 到達したことを 妨げた かもしれない」

です。

may は、直説法で仮定法ではないことに注意です。

すなわち、協会は間違いなく実績を重ねて、一定の模範的職業行為に到達していたことは事実だと胸を張っているわけですね。

ここが might になっていれば、それは仮定法になっているわけで、確定した事実ではなくて、頭の中で想像していることを意味します。

日本語では、may も might も「かもしれない」と訳す以外ないのですが、事実と想像という違いがあることには、注意が必要です。

そして、目の前の事実、現実を表すのは直説法であり、頭の中の想像、空想を表すのが仮定法であり、結局、それは時制が前にずれることによって表現されます。

例えば、may と might ですが、他に will と would、can と could、shall と should があります。

つまり、単純にすれば、目で見えることは現在形で、頭で考えたことは過去形で表すということになります。

ということは、未来のことは、目で見える現実ではなく、頭の中の想像ですから、過去形で表すことになります。未来のことは、過去形で書くわけです。この不思議さが、HGウエルズの「タイムマシン」の創作動機になったと思います。

しかし、 this piece とあるように、全体ではなく、それは一部分だと言っています。スチーブンスは、それさえなければ、何かができたはずだといいたいようです。

 

そして、それが④にさかのぼって修飾し、

「ある 重要な 権威の基準」

が達成されていたはずであることを言っています。

 

というところでまとめると、

「そのうえ、協会が、商売中心の家 または 新興の家は名家とは認められないとはっきりさせました。私が思うには、この小さな古めかしい考え方のせいで、協会が我々の職業において、職責遂行の基準になっていたはずの重要な権威に届きませんでした」

としました。

 

既得権益にしがみつくという考え方は、いつの時代も廃れると思うのですがね。