210番です。
Mr Davidson from Easterly House, whose passion in dabating a point could at times be alarming to a stranger as his simple kindness at all other times was endearing;
この文もセミコロンで終わっています。この文を含めていろいろな例が羅列してあるわけです。
まず、207番で最初の例を挙げて、そのほかの例を順に続けています。つまり、
207. ピリオド
208; セミコロン
209; セミコロン
210; セミコロン
211. ピリオド
のパターンで多く例を挙げていますが、セミコロンで切るという符合の使い方になっています。文法的には切れているが、実は、207番から、次の211番までがひとつながりの内容の文だったということになります。
文法的には、それぞれは独立した文章なので、切り離して考えることができます。当然その方がわかりやすいはずです。
ちなみに、
英語の文の原則は、「一つの文に動詞は一つ」です。よって、動詞を二つ使いたいときは、二つ目の動詞は、不定詞の形にするわけです。
I go. と、I see. をくっつけて、一つの文にするときは、 I go see. は動詞が二つになってしまうからダメで、I go to see. 二つ目の動詞は不定詞にしないといけないということです。
というところで、分解することにします。
① Mr Davidson from Easterly House, |
主格 (there is) |
② whose passion in debating a point | 関代 |
③ could at times be | 動詞 仮定法(想像) |
④ as alarming to a stranger | as ~ (として) |
⑤ as his simple kindness at all other times | as ~ |
⑥ was endearing; |
①は、前の文と同じで、ここも there is が省略されていると考えるべきです。②以降はMr Davidson の説明となっているのですが、文の構造としては従属節です。①は主節でないと困るわけです。ということで、
There is Mr Davidson from Easterly House,
とすれば、主節の完全な形になります。
「イーストリー・ハウスのデヴィッドソンさんもいました」
と訳すのがよさそうです。
つぎは、②③④と続けて、
②は、従属節の主語ですが、関係代名詞の所有格で①につながります。
「一面では、核心を指摘する情熱を持った」と訳せそうです。
③の could は、仮定法と考えなくてもよさそうです。⑥の was endearing と同じ過去時制と考えた方がいいです。
at times は、⑤の other times と対になっていて、デヴィッドソンさんの一つの行動の違った側面を表しています。複数になっているのは、そういう場面が何回もあったということになります。
④は、「初対面の人にとっては驚くようなこととして」でよさそうです。
つなげると、
「初対面の人にとっては驚くようなこととして、一面では核心を指摘する情熱を持った、イーストリー・ハウスのデヴィッドソンさんもいました」
となります。
「初対面の人は驚くような歯に衣着せぬ物言いをするデヴィッドソンもいました」
とすればよさそうです。
⑤⑥は、そういう物言いは強引で乱暴に見えるけれども、一面では正直で正義感がこもっていたという感じを言いたいのだと、感じますが。ということで、
「それは一面では、人を引き付ける 裏表のない 思いやりでもあった」
という感じだと思います。
デヴィッドソンさんは、
武骨で不器用だけれど、根は曲がったことは我慢がならん、
という人なんでしょう。
これをまとめて、
「また、初めての人は驚くような 歯に衣着せぬ物言いをするものの 根は人をひきつける思いやりにあふれた イーストリー・ハウスからのデヴィッドソンさんもいました」
としました。