212番です。
I could go on.
これだけです。分解のしようがありません。
ポイントは could ですね。
ここしかないですが、もちろん言わずと知れた仮定法です。
仮定法とは、「目の前で起きている事実とは異なる事柄、つまり、頭の中で想像している事柄を叙述する方法」のことです。
逆に、「目の前で起きている事実を叙述する方法」は、直説法と呼ばれます。
英語という言語は、この「事実」と「想像」を常に意識していると、私は思っています。
事実の方は、事実そのもので、それ以外ではありません。これは、範囲が極めて狭いものです。
例えば、どこかで写真を一枚とったとして、そのまま話題にするときは、直説法で話すことができます。しかし、そこに映っているクルマの色を違う色に変えて話そうとすれば、その部分は想像ですから、他の所は事実であっても、仮定法を使わなくてはならないことになります。
事実は、ピンポイントですが、想像の方は、無限に広がりを持つことができます。
自分の想像ばかりでなく、相手の想像を自分が想像していることまで含めると、仮定法の表現範囲は、猛烈に広いわけです。
相手の気持ちを、ちょっとでも考えた場合は、仮定法を使うことになります。それが、丁寧さに繋がり、仮定法は、日本語で言う敬語的な使い方ということになるわけです。
このまま続けます、と現在形で言うなら、I go on. となり、
それを過去形で言えば、I went on. となるわけで、自分の意志を明確にすれば、
「このままつづけることができる」となるわけです。つまり、I can go on. となります。
では、これを過去形にするならば、I could go on. 「このまま続けることができた」となってしまいます。
この文は、今回の文と全く同じですが、由来は「時制の一致」から来たもので、相手の気持ちを想像した結果ではないことに注意すべきです。
今回の文は、召使部屋に集まっていた人々を、過去の事実として列挙しているのではなく、スチーブンスが私たち読者に向かって、話させてくださいと依頼している場面です。読者の気持ちを想像しているが故の仮定法と考えた方がいいわけです。
というところで、
「もう少しつづけさせてください」
としました。
スチーブンスはこう言って、その当時の部屋の雰囲気を私たち読者に話していくわけですが、それは次回です。