116番です。

 

As I say, at Darlington Hall too, many a visiting employee would bring the latest tales of Mr Neighbours's achievements, so that I and the likes of Mr Graham would have to share the frustrating experience of hearing anecdote after anecdote relating to him.

 

今回は長いですね。注意して分解しましょう。

 

⓵ As I say,

② at Darlington Hall too,

③ many a visiting employee would bring

④ the latest tales of Mr Neighbours's achievements,

⑤ so that I and the likes of Mr Graham would have to share

⑥ the frustrating experience of hearing anecdote after anecdote relating to him.

 

こんな風に分解してみました。

⓵は、接続詞から始まっています。すなわち従属節ということです。as は「ように」がいいですね。「私が言うように」「私が言ってるように」となります。もっと進めて「言うまでもないことですが」という感じかもしれません。

②③④で一つの文ですね。③が主語と動詞の部分で、②は前置詞句ですが、①にくっつけても、③にくっつけてもいいと思います。④は、③の動詞 bring の目的語で、③④でSVOの文型となります。

②は、「ダーリントンの邸館でも」「ダーリントンの邸館においてもまた」です。

 

③は「多くのよそからの召使の方々が、~を持ち込む」となります。

④は、「ネイバー氏の業績に関する最新の情報を」ということで、③の動詞 bring の目的語となります。

まとめると、「多くのよそからの召使の方々が、ネイバー氏の業績に関する最新の情報をを持ち込む」となります。

「召使の方々」は、執事であるスチーブンスが言っているのですが、よそからのお客としての召使なので、「方々」と敬意を表わす言葉を使いました。このあたりが日本語の微妙なところです。あっさりと「召使たち」とやる手もあると思います。

 

⑤⑥で、従属節を形作っています。so that は前から訳してきた方が流れがスムーズです。「おかげで」あたりがいいようです。

 

likes は、動詞ではなくて、名詞です。the がついていることからも分かるように「グラハム氏のような人」とかなり限定しています。

その the likes と私が主語になっていて、動詞は would have to share です。 have to 構文で、ねばならない、となります。

ちなみに、動詞が不定詞になって使われるときも、その動詞が他動詞であれば、目的語が必要になります。ここでは、fruatrating で修飾された experience が、share の目的語になっています。「はらわたが煮えくり返るような体験」とまでいうとちょっと言い過ぎかもしれません。「頭にくるような」くらいがいいのですが、スチーブンスはどういうでしょうか。

 

⑤⑥を訳せば、まず⑤は、「おかげで、私やグラハム氏のような人にまで、彼のやった手柄話をつぎからつぎへと聞かされるものですから、イライラがおさまりませんでした」という感じでしょうか。

 

以上でまとめると、

「言うまでもないことですが、ダーリントンの邸館もまた、大勢のよそからの召使の方々がネイバー氏の業績に関する最新の情報をを教えて下さいます。おかげで、私やグラハム氏のような人にまで、彼のやった手柄話をつぎからつぎへと聞かされるものですから、イライラがおさまりませんでした」

としましたが、どうでしょうか。

 

また、as I say は、話の展開において、明確な意味を持っていません。間投詞と同じようなものと考えて、話す相手、ここでは読者ということになりますが、読者に対してそういう敬意を持っていることを示す語群と考えることもできます。

敬意を表わす言葉ならば、これをあらためて訳すのではなくて、そういう敬意を表わすべき相手に対して、全体としてどういう言葉遣いをすべきかということから考えるべきなのかもしれません。

つまり、こう考えれば、あえて日本語に訳さなくてもよさそうです。

上の訳例の最初、「言うまでもないことですが」はなくてもいいのかもしれません。

スチーブンスが得意の that is to say なども、遠慮する気持ちのない相手には、使うことはないと考えられるので、あえて訳さなくても全体の言葉遣い、日本語の場合は文末の用言の敬語の形ということになるわけですが、そこを重要視するべきと考えます。

そういう人物にふさわしい言葉遣いをするということです。