149番です。

 

'Keeps the spirit young, I guess.

 

クオテーションマークの対の相手は、次の文の終わりに出てきます。その次の文までがファラディさんの発言というわけです。

 

短い文ですが、最初の keeps が悩ましいです。

気持ちを若く保て、という命令文と考えるなら、keep という命令形になるはずです。となると、keeps の s は、三単現の s と考えるべきもので、

the spirit keeps young, 

の倒置形と考えた方がよさそうです。

「それで気持ちが若いんだな、分かったよ」とか、

「若さの秘訣かよ、納得したよ」とか

発言内容のどこかを強調したものになりそうです。

 

というところで、

「若さの秘訣、ということかな」

としました。

 

148番です。

 

'I'd never have figured you for such a lady's man, Stevens,' he went on.

 

figure  考える ~だと思う 描く

ladies man  女好きの男 女たらし

 

クオテーションマークで囲まれています。ファラディさんの発言ですね。

 

I'd は、辞書を見ると、 I should , I would , I had  の縮約形と出ています。

このところは、過去の思い出の話をスチーブンスがしているのですから、その時点で、ファラディさんが既に考えていたわけで、過去の時点で過去だったことを表す I had が適していると思います。

「おまえが女好きとは思っていなかったよ」

くらいですね。

前の二つ should , would でも間違いではないと思いますが、それだとすれば、意志が感じられるような訳になりそうで、

「わしは、お前がそこまで女好きとは思ってもみなかったよ」

となるでしょうか。

といっても、縮約されて正確なところが分からないわけで、この場面にどれがふさわしいか、が考えどころです。

 

もうひとつ、Stevens がファラディさんのセリフの最後にありますが、これの方が重要です。

一般的に、「スチーブンスさんよ」と、呼びかけとして訳されることが多いと思いますが、私は、これを「敬関詞」と考えています。

敬関詞とは、話し手と聞き手の間の「敬意と関係」を表現している言葉で、

この両者がその言葉に応じた関係であり、さらに、その間柄にふさわしい程度の敬意の意識がある

ことを表している言葉と考えています。

mister  であれば、相手が mister であるとの認識があり、そうならば、それに見合った敬意を表す言葉、つまり「~でございます」を使おうというわけです。「紳士さんよ」と呼びかけても、日本語としては不適格と思うのですが。

つまり、敬関詞は、それをそのまま訳すのではなく、そういう関係にあることを言葉遣いの上で表すのがいいのではないかと思うわけです。

 

というところで、

「そこまで女好きとは思いもしなかったよ」と、お続けになられました。

としました。

 

Stevens という単語は、直接「スチーブンス」と訳すのではなく、しなかったよ、という言葉の中に、そういう関係なら使うであろう言葉にして、意味とか雰囲気を表現したわけですが、学校では教えないというか、考えてもいないことなので、真意を伝えにくいです。

 

 

147番です。

 

but you will no doubt appreciate how unconfortable a situation this was for me.

 

appreciate  正しく理解する 評価する

 

小文字で始まってるのは、前の文がセミコロンで終わっていたせいです。

この文は doubt 、前の文は question 、というのは、日本語で言う「縁語」でしょうか。appreciate もその部類に入りそうです。

 

感嘆文が入り込んでいますね。普通の文は、

this was a unconfortable situation です。

この文の unconfortable を how で感嘆したい、強調したい時は、倒置されます。

さらに強調したい形容詞は不定冠詞 a より前に引っ張り出されて、

how unconfortable a situation this was 

という語順になります。

for me を付けて訳せば、

「私にとって、なんと居心地の悪い状況であったか」

となります。

 

そこで、前半の部分を付ければ、

そういう状況を、あなた方(読者の皆様方)が正確に評価することは 疑問がない でしょう

となります。

 

あとは、この部分を原文通りに先に訳すか、日本語らしく跡形訳すか、という選択になります。

 

先に訳してみると、

「とは申せ、皆様方には間違いなく、ご理解いただけると存じますが、この状況は私にとりましてまことに居心地が悪いものでございました」

となりますが、後ろから訳せば、

「とは申せ、私にとって極めて居心地の悪い状況であったことが、皆様にはご理解いただけるでしょう」

 とすることもできます。

 

 

146番です。

 

There is no question at all that he meant any harm;

 

英語らしい文章です。

there is 構文では no question が主語で、それを that 関係代名詞で説明しています。

しかも、no が使われている否定文ですから、後半の関係代名詞部分は some ではなく any が使われているわけです。

 

彼は、いくらかの損害を目的としたという ない問題が まったく ありました。

 

という妙な直訳が出来上がりますが、日本語らしくすれば、

ない問題が まったく ありました というのは、

問題は ぜんぜん ありません ですし、それに後半の関係代名詞部分

彼は、いくらかの損害を目的としたという は、

彼は、傷つけようという気持ちがある ということです。

が、最終的にそういうことは否定され、スチーブンスの弁解がなりたちます。

 

というところで、

「ファラディ様には、傷つけようというお気持ちなどなかったことは間違いございません」

となりそうです。

原文は、セミコロンで終わっていますから、内容的に次の文に続いていきます。

 

 

 

 

145番です。

 

he is, after all, an American gentleman and his ways are often very different.

 

前の文がセミコロンで終わっていたので小文字で始まっています。

一つの文に見えますが、正確には二つの文が等位接続詞 and で結ばれています。つまり、ふたつの文は主節従属節という立場ではなく、等位なのですが、内容的には、前の文が原因で、後の文は結果のようですね。

 

念のため二つの文を分けてみます。

 

       he is, after all, an American gentleman

and his ways are often very different.

 

after all が挿入されているのですが、SVCの文型の文が二つくっついているだけです。直訳すれば、

 

彼は、結局、アメリカ人です。

そして、彼のやり方は 時々 非常に 異なります。

 

となるのですが、この場面は、スチーブンスが弁解しているところですから、ファラディさんを立てるような言い方になるはずです。

 

after all も、そういう考え方で行くべきです。

結局というのは、多くの要素を一つ一つ上げていったところで、イギリス人ではないアメリカ人という、おおもとの要因に行きついてしまうということで、それ風な訳を考えればいいことになります。

 

ということで、

「ファラディ様は、何と申しましても、アメリカの方でございまして、往々にして私どもとは異なったなさりようをされるのでございます」

としました。

 

 

 

 

 

 

 

144番です。

 

But then I do not mean to imply anything derogatory about Mr Farraday;

 

imply  暗に意味する ほのめかす

derogatory  傷つけるような 軽蔑的な 

 

あわててスチーブンスが弁解する様子ですね。文法的話題は、不定詞の役割、ということくらいです。

 

日本語でも英語でも、一つの文でメインとなる動詞は一つしかつかえないということです。

二つ目の動詞は、日本語なら「連用形」となり、英語では「不定詞」になる、と私は理解しています。

例えば、私は行く、と、私は見る、という二つの文があるとき、これを一つの文にすると、

私は見に行く、か、私は行って見る、

になります。

どちらかの動詞は、連用形に変わって、メインの動詞に掛かる形になります。「行って」の方はストレートに連用形ではありませんが、連用形に準じた形といえます。実用面では、こういう形の方が多いと思います。

または、ふたつの文のまま接続詞でくっつけるというやり方です。その時は、

私は行く、そして、見る。

となります。これは、一つの文に見えますが、正確には、ふたつの文が組み合わさっていると考える方がいいですね。

 

英語では、二つ目の動詞は不定詞になる、ということです。

I go. と I see. を繋げると、I go to see. または I see to go.

になるよ、ということです。

つまり、不定詞は連用形と考えておいて困らないということです。

二つの文をそのまま接続詞でつなぐときは、

I go and (I) see.

となるわけです.

不定詞を使って、I go to see. とした方がすっきりしています。

Go toキャンペーンになりました。

 

原文の mean to imply ですが、連用形でやると「意味し意味する」となるところですが、分かりやすくすれば「意味することを意味する」となります。どこが分かりやすいのだといわれそうですが、つまり、不定詞部分は目的語になっているので、目的語らしさを優先した結果です。この場合は、一般的に「不定詞の名詞的用法」といったりしています。こういう言い方をすると、形容詞的用法、とか、副詞的用法、という言葉も文法書では使われますが、訳したときに、日本語ではそういう役割をもった部分として使用されているのだ、ということです。

 

スチーブンスが弁解しているのですから、直訳すれば、

「しかし そのとき 私はファラディ―さんに関して 傷つけるようなことを 意味していることを 意味しているのでは ありません」

となります。

 

というところで、

「と申しましたが、ファラディ様が私を傷つける気持ちをお持ちだったと申すのではございません」

としました。

 

 

143番です。

 

This was a most embarrasing situation, one in which Lord Darlington would never have placed an employee.

 

コンマと、関係代名詞とその前の in 、それと、would もポイントですね。

コンマも重要です。なくてもいいようにみえるのですが・・・。

 

分解してみます。

 

This was a most embarrasing situation,

             one in which Lord Darlington would never have placed an employee.

 

特に複雑な構造には見えませんが、どっこい one と which が曲者ですね。

embarrasing situation を、関係代名詞 which が、後ろからかかる形で、説明していることはわかります。

ところが、one は何でしょうか。

可能性があるのは、embarrasing situation か、an employee か、ですが。

 

いちばん最後の an employee のこととすると、

ダーリントン卿は、使用人をそこには置かないような状況の中の誰か、

となるのですが、この one は前の文にどう続くのかが分かりません。which で関係していれば、one は浮遊していてもいいものかもしれませんが。

embarrasing situation とすれば、

ダーリントン卿は、使用人をそこには置かないような状況の中の状況、

となってしまうのですが、ここで意味を持つのがコンマです。

コンマは、embarrasing situation と one が同格であることを表しているのです。

「これは、まことにいたたまれないような状況でした、すなわち」

となる、そのすなわちの意味をコンマが持っているわけです。

 

状況を補足して説明しているのですが、それはダーリントン卿なら決して作り出さないような状況だと、スチーブンスは言いたいのですが、自分の気持ちではないので仮定法にして、自分勝手な想像であることを表現しています。

 

 

 

つまり、「ダーリントン卿なら、雇い人を置くようなことはしないと思われるような」ひどい状況に置かれてしまった、とスチーブンスが恨みがましいことを思っているのです。

 

さらに、気にしておいた方がいいところは、文の始まりのところの a most でしょうか。

most は最上級で、普通なら定冠詞 the となるところです。それが a になっているのは、その時だけの特別な状況ではなくて、一般的にありうる状況の中の一つという感じを表しているのでしょう。だから、mostの意味 は very くらいの感じと思われます。

 

ということで、

「とてもやり場のない状況に置かれてしまったのでございますが、ダーリントン卿なら雇い人をこんな状況には置くことは決してなかったと存じます」

としました。

まあ、身から出た錆びだと思うのですが、このままだとファラディさんが悪者になってしまいますね。