209番です。

 

for instance, Mr Wilkinson, valet-butler to Mr John Cambell, with his well-known repertoire of impersonations of prominent gentlemen; 

 

前の文はセミコロンで切れていました。内容は続いているということですが、どういう風に続いているかを、例を挙げて説明しています。

見たところ完全な文ではないようですが、まず分解してみます。

 

for instance, Mr Wilkinson,  接続詞 主格
      valet-butler to Mr John Campbell,  同格 立場
          with his well-known repertoire  前句 Mr Wilkinsonにかかる
          of impersonations  前句 repertoireにかかる
          of prominent gentlemen;  前句 impersonationsにかかる

 

こんな感じになるでしょうか。there is 構文ですが、この部分がすっぽり省略されています。つまり、Mr Wilkinson の前に there was が省略されているわけで、訳すときには、補うことになりそうです。

 

どういう顔ぶれだったか、を説明するわけですが、夜更けの召使部屋に集まってきている仕事熱心な召使や執事たちは、矢張りどこかに自慢できるところがあり、それが自信につながっていくのは自然なことですね。

 

「例えば、ジョン・キャンベル氏の執事だったウィルキンソンさんがいらっしゃって、彼は著名人のしぐさのモノマネで喝采をあびてました」

としました。

 

 

208番です。

 

And there were others less distinguished, perhaps, but whose lively presense made any visit memorable;

 

この文はセミコロンで終わっています。内容は次の文につづくのですが、文法的には、ここで切れます。

ということで、ここまでを分解します。

 

① And    there were others  接続詞 there is 構文
②                     less distinguished, others に係る形容詞句
③ perhaps,    but whose lively presense whose = others'
④             made any visit memorable;  過去分詞③に係る

 

こんな風になるでしょうか。

 

①は、 there is 構文 ですが、主語は複数で、過去形になっています。

②の過去分詞が others にかかっています。はっきりしない 他の 方々 があった と直訳できそうです。

「他の方々は はっきり 覚えていない」ということですね。来ていたことは間違いないが、それが誰かははっきりしない、という感じです。

というか、スチーブンスはもちろん名前などははっきり記憶しているのですが、いちいち上げる必要はないでしょう、という感じではないかと思います。

で、その感じを説明しているのが、③④ということです。これも、there is 構文ですが、今度の主語は whose lively presense となります。つまり、「その誰かの実際の出現(出席、登場、参加)があった」となります。

そして、それが④、「どの参加も印象深かった」というわけですね。印象深いのですから、ちゃんと覚えているのです。

perhaps は、丁寧さを表すと辞書に出ていますが、何が何でも日本語に当てはめる必要はなさそうです。和訳時に、用言部分に丁寧さを表す表現をすればいいと思われます。

話しかけている相手の名前などと同じように扱えばよさそうです。つまり、敬関詞的に扱えばよさそうです。

もちろん、たぶん、という気持ちは残っているはずですが、but という気持ちも同時にあるわけで、言葉はやはり注意深く選ばれているのだなあ、と詠嘆してしまうわけです。

活字になってしまうと、抑揚、強弱などが消えてしまいます。その消えた何かを伝えようとすると、言葉をどう選ぶかが、重要になるということだと思います。

 

ということで、訳してみれば、

「いちいちどちらがとは申しませんが、どなたのご参加も深く記憶に残っております」

としました。

 

 

 

207番です。

 

Perhaps I will convoy a better idea of the tone those evenings if I say that regular visitors included the likes of Mr Harry Graham, valet-butler to Sir james Chambers, and Mr John Donalds, valet to Mr Sydney Dickenson.

 

一見すると長い文のように見えますが、半分は人の名前と職務の肩書ですね。

それにしても分解から始めます。

 

① Perhaps I will convoy  副詞 主節SV
②               a better idea of the tone 目的語 O
③                    of those evenings  前句 toneにかかる
④ if I say that  従属節 関係代名詞
⑤  regular visitors included  主節 SV
⑥ the likes of Mr Harry Graham,  O
⑦ valet-butler to Sir James Chambers,   
⑧ and Mr John Donalds,  等位接続詞
⑨ valet to Mr Sydney Dickenson.   

と、こんな感じに分解できます。

 

文の構造も言葉の選び方も、日本語からすると馴染めない感じがします。

それでも、④から訳せば、意味がとりやすいかなと思います。

直訳では、「もし私が、次のことを、言うとすれば」となりそうです。

つぎのこととは、「ジェームズ・チェンバース卿の執事のハリー・グラハムさんとか、シドニー・ディッケンソン氏の召使のジョン・ドナルドさんのような人々をはじめとするお馴染みのお客様が、含まれています」ということです。

つまり、

「ジェームズ・チェンバース卿の執事のハリー・グラハムさんや、シドニー・ディッケンソン氏の召使のジョン・ドナルドさんのような人々をはじめとする、よくお越しの方々のことを申しあげれば」

という感じでしょうか。

 

これに、①②③が続いていく感じです。

「たぶん、そういう晩の雰囲気の非常に良い例になると思われます」と訳せると思うのですが、スチーブンスは一筋縄ではいかない言葉を使っています。

conboy は、express とか indicate の意味でしょうし、idea は example と考えればいいのではないかと思います。こういう風に、難しい方向に言葉を変換できるのだから、逆に簡単な方向に言葉を言いかえていけば、冗談などはそう難しく考えなくてもいいと、思うのですがね。

 

ということで、今回は

「ジェームズ・チェンバース卿の執事のハリー・グラハムさんや、シドニー・ディッケンソン氏の召使のジョン・ドナルドさんのような人々をはじめとする、よくお越しの方々のことを申しあげれば、おそらく、そういう晩の雰囲気を伝える非常に良い例になると思われます」

としました。

 

 

 

 

206番です。

 

Sometimes, naturally, there would be strong disagreements, but more often than not, the atmosphere was dominated by a feeling of mutual respect.

 

スチーブンスのこういう言い方には慣れてきました。分解してみます。

二つの文が等位接続詞 but で接続されています。

 

① Sometimes, naturally, 副詞 副詞
②  there would be strong disagreements,  主節
③ but more often than not,  等位接続詞         more often than not 通常 大抵     しばしば
④   the atmosphere was dominated  主節 受動態
⑤                             by a feeling 前置詞句
⑥                                  of mutual respect.  前置詞句

 

①②で一つの文です。その間に naturally が挿入されています。

「時には、自然と 激しい 討論に なることもありましたが」

でよさそうです。

would は単純な未来 will の過去形です。次の文も was dominated と過去形になっています。つまり時制の一致というやつですが、こっちの文が先ですから、was dominated の方が、過去形で一致したというべきです。

 

③の but で、それを打ち消すわけです。そして熟語が続きます。

「(激しい言い争いになるといっても、取っ組み合いのけんかになるのではなく)いつも」

となって、④に続きます。

④⑤は受動態の例文みたいです。まともに受動態として訳すか、ちょっと策を考えるか、というところです。

⑥の前置詞句は、a feeling にかかっています。

「その論争の雰囲気は お互いの尊敬の感情によって 支配されていました」

というのが直訳です。

 

まとめると、

「ときには、激しい論争に なることも ありましたが、お互いに相手を 尊重しあって いましたから どんなときも 穏やかで ございました」

としました。

 

今回は楽でしたね。

 

 

 

 

205番です。

 

and of course, as fellow professionals from all walks of life are wont to do when gathered together, we could be found discussing every aspect of our vocation.

 

分解しますが、この文も小文字から始まっています。内容は続いています。

 

① and of course,  接続詞 強調
② as fellow professionals  従節? S  前置詞句? 
③        from all walks of life    前置詞句
④             are wont to do 従節? V動詞
⑤ when gathered together,  従節? S省略
⑥       we could be found  主節 SVC
⑦        discussing every aspect 補語
⑧                               of our vocation.  前置詞句

  wont  wont (wonted)  wont (wonted)  慣れる 習慣である

 

①は小文字で始まっています。前の文とは内容は連続しているが、文法的には独立しているわけです。

「そして、もちろん」ですが、「そして 付け加えれば」という気分です。

どうしてこういう場合が列挙してあるかといえば、202番にさかのぼります。

そこでは、暖炉のそばで仕事が終わった夜間に様々なことを話し合っていたと書いてありました。そのテーマは、

203番では噂話のようなものではなく、

204番では雇い主たちが絡む重要案件や新聞で取り上げられる政治的話題を始め、

205番では自分たちの生活や人生における先輩たちからのアドバイスなどと

セミコロンで区切って、内容が詳しく書かれていました。

そういう仕事時間外の気のおけない座談会で、スチーブンスは冗談に関して皆の意見が聞きたかったというわけです。

 

②③④は、as が使われていて、従節みたいですが、as は前置詞と考えていいようです。

「先輩として」ですね。そういう先輩かというと、③④で限定されています。つまり、

③ from all walks of life となっていますから、「人生のあらゆる場面からの」「生活のあらゆる経験をして」ということです。一人ですべての場合を経験しているということではなく、一つの経験をした大勢が集まっているから、みんなの話を聞けば、多くの経験を自分のものにできるという感じです。

④の are wont to do は、現在形で複数です。③のall walks より②のfellow professionals にかかっていると考えるのが自然だと思いますが、

「することに慣れている先輩として」です。

ということで、②の as は接続詞で始まっている従属節と考えるより、前置詞と考えた方がよさそうです。

もう一つ⑤の when の方が従属節ですね。

③は、前置詞句で fellow professionals にかかっています。all walks は,「すべての道」という感じでしょうか。「場面」の方が近いかもしれません。

④は、とりあえず「することに慣れている」ですが、関代 that を補って all walks of life にかかっていきます。これが複数ですから、動詞は are wont と複数になっています。wont は過去分詞です。wont to do で「することに慣れている」「してしまう」となります。

「することに慣れている人生の経験からの先輩として」となりますが、スムーズな訳が欲しいところです。「生活面でも豊富な経験を持つ先輩として」でしょうか。

 

⑥⑦⑧が主節です。直訳は

「自分たちの職務の すべての側面を 討論する のが 見られる」

です。 

 

それはどんなときかが、⑤です。

「一堂に集まったとき」

で、一日の職務を終えて控室に集まったとき、というわけです。

ここは主語が省略されています。その主語は、②のfellow professionals です。

召使や女中、さらに執事などの同業の先輩たちということで、③人生のすべての面での経験者ということです。

そういう経験者は④することに慣れている、というわけです。

 

前の文では、雇い主たちが関わっている政治的案件を自分たちも議論していました。そういうことばかりでなく、身近な自分たちの生活習慣についても、当然、話し合っていますよ、ということを付け加えたわけです。

それが①で、「そして、付け加えるならば」という感じです。

 

ということで、①、⑤のとき②③④で、⑥⑦⑧の順に訳せばよさそうです。

「そしてもちろん、私たちは集まったときには、さまざまな経験豊富な先輩たちから 自分たちの職務などについて拝聴しているのが見られるはずです」

としましたが、もっとスムーズな訳がありそうです。

 

 

 

 

 

 

 

204番です。

 

more lilely, you would have witnessed debates over the great affairs preoccupying our employers upstairs, or else over matters of imported in the newspapers; 

 

分解します。

 

 ① more likely,  従属節 = if you were more likely
 ②     you would have witnessed debates 主節 SVO
 ③             over the great affairs  前置詞句  over 関して
 ④   preoccupying our employers        upstairs,  分詞構文 形容詞的
 ⑤ or else over matters of import reported  前置詞句 over して
 ⑥            in the newspapers;  前置詞句

  witness  目撃する  debate   討論 論争  

 

こんな風に分解できると思います。文法的な語句の役割も記入してみました。

②が主節です。仮定法になっており、話し手のスチーブンスが読者の行動を想像していることを表しています。

仮定法とは、文法書での説明のように文字で書くと難しい表現になるのですが、「事実に反する」とは「想像したこと」を、ようするに「頭で考えたこと」を表している、と考えればOKです。その印として、時制を一つ前にするわけで、現在の想像は過去形に、過去の想像は過去完了形になります。

未来のことは、目の前にあることではなく、すべて想像ですから、現在の一つ前の時制、過去形が使われるということになります。would やcould などが使われるわけです。私は、未来のことは過去形で書くというのが、英語の面白いところだと感じています。

そして、直説法とは、それとは反対に「目の前のあること」すなわち「事実」を表しているわけです。

「想像」と「事実」、これらにこだわるのが英語です。

それに対して、日本語は「関係」にこだわります。上下、老幼、強弱、親疎などの関係を表したり、区別するために敬語が使われると思います。

 

①は、「よくあることですが」とか「「きっとこんなことを」という感じでしょうか。「毎晩のことでしたが」でもいいと思います。

②が主節です。本体の文です。仮定法になっていて、想像を表しています。召使の部屋に来たならば、という仮定です。そういう仮定に対して、「あなた方は、議論を目撃することになったでしょう」というSVOの帰結文になっています。

この帰結文は、would have witnessed と、時制的には完了形になっていて、一つ前の時制だということを表しています。

③の前置詞句は、について、にかんして、という over で、about とか on も悪くはないのでしょうが、この方が debates には似合っていますね。

④は、分詞構文になっていますが、preoccupy の目的語が emplyers で、「雇い主たちを夢中にさせている」となります。その雇い主たちは、階上のロビーで食事をすませて雑談交じりに天下の重要事を討論しているわけですね。

⑤の or else は、そうでなければ、という感じです。matters of import は、雇い主たちがかかわっている個々の問題に対して、それらの方向性を左右する全体の問題を表しています。そうことは新聞で報道されているということですね。

 

というところで、

「毎晩のように、ご主人様がかかわっているような個別の案件や新聞で報道されている全般の状況について、私たちなりに議論をいたしておりました」

としました。

 

 

203番です。

 

And let me tell you, if you were to have come into servants' hall on any of those evenings, you would not have heard mere gossip;

 

セミコロンで終わっていますから、文としてはここで切れるのですが、内容的には次の文も関係があります。

とりあえず分解します。

 

① And let me tell you,

② if you were to have come

 Ⓐ                into servants' hall       

   Ⓑ             on any of those evenings,

③ you would not have heard mere gossip;

 

こんな風に分解できるでしょう。主要な要素は、①②③で、②は仮定法の if 節つまり条件節で、それに場所と時を表す前置詞句のⒶとⒷがくっついている構造です。

③は、仮定法の帰結文です。

ⒶⒷを含む②の仮定文と③の帰結文で、完備した仮定法の文になっています。

 

まず①は、スチーブンスが読者にお願いをしている文です。説明をもっとしたいので、そうさせてください、と言っているわけです。

「もう少し言わせてください」とか、「さらに言いますと」という感じです。

 

②の were to は仮定法だからの形で、直説法なら are to で、原型は be to となります。

つまり、were to は、be to の変形で、

 予定 ~することになっている、

 運命 ~する運命である、

 義務 ~すべきである、

 可能 ~できる、

などを表します。

have が助動詞として使われるのに似ていると思うのですが、そういう説明は今まで聞いたことがありません。しかし、そう考えると、この be が分かりやすくなると思います。

次の have come の have は、完了を表す助動詞です。さっそく have が助動詞として出てきました。

それにⒶ「召使の控室に」とⒷ「その頃のどの夜でも」をくっつければいいわけです。

ということで、この②は、

「もし あなた方 が そのころの 時間外の夜に いつでも 召使の控室に 来てしまっている としたら」と、

完了と運命との意味を含ませた直訳ができそうです。

予定とか、運命とか、義務とかを表す be to の活用形ですが、ここでは勧誘あたりも選択肢になりそうですね。

来てみてもらえば、とか、ためしに来てみれば、というような感じです。

いつ来てもらっても、職務能力の向上を目指しての討論に明け暮れていて、他人の噂話に花を咲かせることなどとんでもない、という感じです。が、おそらく、そこまで熱心でない輩もいるはずで、そういう連中は居酒屋に行っているはずだから、残っている者たちは結局大真面目に議論をしているのですね。

 

ということで、

「もう少し言わせてもらえば、その頃私たちの控室にいらっしゃれば 夜遅くまで 噂話どころではない 私たちの姿を ご覧になることができたはずです」

としました。