137番です。

 

The only instance that comes to mind is the attempt of the Hayes Society to devise criteria for membership.

 

特に複雑ではないので助かります。でも分解は必要です。

 

⓵ The only instance

②      that comes to mind

③ is the attempt of the Hayes Society

④         to devise criteria for membership.

 

こんな風に分解しました。適当に字下げをしたので、レイアウトが崩れていなければ、わかりやすいと思います。

⓵と③で、SVCの文型になっています。

⓵の The only instance が主語です。③の is が動詞で、the attemot が補語です。

「唯一の例は ヘイズ協会の試み です」

となるわけです。

 

②の that 以下は関代で instance にかかっていて、主語を修飾しています。

「心に浮かぶ唯一の例は」

となります。

 

④は、不定詞句ですが、devise はもとは動詞なので、意味上の主体(主語)と意味上の客体(目的語)があります。

それが、主語は③の the Hayes Society で、目的語は criteria for membership ということになります。

「ヘイズ協会が 会員資格の条件を 明確にした (こと)」

という名詞として、attempt の of の目的語になっているというわけです。

 

というところで、

「私が覚えている唯一の例は、ヘイズ協会が会員資格の条件を明確にするという試みでございます」

としました。

 

 

 

 

 

 

 

136番です。

 

To the best of my konwledge, for all the talk this question has engendered over the years, there have been very few attemts within the profession to formulate an official answer.

 

それほど複雑な文ではないようですが、まず分解をしてみましょう。

 

⓵ To the best of my konwledge,

② for all the talk this question has engendered over the years,

③ there have been very few attemts

    within the profession    to formulate an official answer.

 

こんな風に分解できると思います。

 

⓵は、自分の発言の責任の範囲を限定しています。スチーブンスの用心ですね。

「私の最善の知識に対しては」、言い換えれば「私が知るかぎり」

となります。

 

②は、for all the talk と over the years が、対照的に使われていて、スチーブンスが場所と時間のすべて で発生していた と考えていたことを表現しています。だから、自分の責任の範囲を限定していたわけですね。

「ありとあらゆる機会に、ありとあらゆる場所で、この問題は起こっていた けれども」

となりそうです。

for は、理由を表してるようで、「に対して」となります。

 

③は、そういう②の情勢にも関わらず、という感じです。

there is 構文の現在完了形になっていて、現在の話だけど、完了していることを表現したいわけです。

very few attempts が主語で、few は結局は否定ですから、

「ほとんど 試みは 行われてはこなかった」

となります。

どこで、と、どういう試みか ということは次に書かれていて、

「業界の内部で」

「公式の見解を発表しようという」

ことです。

very few attempts のすぐ次に to formulate という不定詞を置いておけば、わかりやすいと思いますが、じゃあ、within the profession はどこがいいのか、となると、やっぱりここかな、と思います。カズオ・イシグロはいい文を書きますね。

 

ということで、

「私が知っている限り、この問題は、長年にわたり、あちこちで議論されては来ましたが、業界の内部で公式の見解を発表しようという試みはほとんどなされませんでした」

となります。

 

 

 

 

135番です。

 

that is to say, the question 'what is a great butler?'

 

前の文(134番)がセミコロンで終わっていました。だから小文字で始まっています。

前の文の注釈、あるいは、補足ということになるのですが、文法的には、前の文の主語 this question と同格ということになります。

 

that is to say は、辞書では 

①「すなわち、換言すれば、つまり」、

②「あるいは、少なくとも」、

③「明確には、明確にいえば」

と出ています。

言い換えて、具体的な例を挙げる、という感じです。

 

分解して考えれば、that が主語で、is が動詞、to say という不定詞が、名詞の働きをして補語になっています。

直訳すれば「それは いうこと である」となります。つまり、

「それは、こう いえる」ということで、「すなわち」などに訳すことができる、というわけです。

 

不定詞は、もとは動詞ですが、to をつけることで一旦動詞ではない名詞になっています。

文の中で、その名詞が、名詞として使われたり、形容詞として使われたり、場合によっては副詞になったりと、さまざまな使われ方をします。

だから、不定詞と呼ばれますが、基本は名詞であるとして考えればいいものです。

ただし、名詞としての役割にとどまっている場合はすくなく、形容詞や副詞の役割を果していることの方が多いように思います。

例えば、I go to say.という文ならば、

「行って、言う」つまり「言いに行く」ですが、

to say という不定詞は、動詞 go にかかっており、副詞っぽい使われ方をしています。

 

ということで、

「すなわち、問題は「偉大な」執事とは何か、ということです」

とします。

 

 

134番です。

 

But let me return to the question that is of genuine interest, this question we so enjoyed debating when our evenings were not spoilt by chatter from those who lacked any fundamental understanding of the profession;

 

これだけ長くなると、分解して構造をはっきりさせないと分からないですね。セミコロンで終わっていますから、とりあえずここで切れるわけです。

 

分解は、まず動詞を目印にします。

一つの文に動詞は一つ、というのが決まりです。それを頼りにします。

日本語では複合動詞というのがあるのですが、例えば「見に行く」などですが、英語では、go to see と言います。

つまり、二つ目の動詞は、to 不定詞にして、名詞として使います。ところが、名詞というのは、形容詞としても副詞としても使われます。つまり、不定詞は、結果的に名詞、形容詞、副詞として使われることになります。だから、品詞としては決まっていない、つまり不定であることから不定詞と呼ばれるわけです。

しかも、動詞は一つという妙なルールのせいで頻繁に使われます。そして、その都度用法が異なっているので、僕らを惑わせることになります。

更に、to 不定詞なら見分けがつきやすいのですが、to のない原形のまま不定詞になっているヤツがあるから困ります。

それを原形不定詞と言いますが、その時の第一の動詞は、

     使役動詞 make, let, have, get, help

、または 知覚動詞 hear, listen, see, watch, fell, notice など

と決まっています。

それを見つけると、やれやれですね。今回がまさしくそうです。

使役動詞 let の命令形とそれに対応する動詞 return の原形不定詞というわけです。

その次の手掛かりは、接続詞、関係代名詞などですが、それはまた別の機会に。

 

というところで、分解しましょう。

 

⓵ But let me return to the question that is of genuine interest,

② this question we so enjoyed debating

③ when our evenings were not spoilt by chatter from those

④ who lacked any fundamental understanding of the profession;

 

こんな風に分解しました。

 

⓵は、召使い部屋での気鋭の召使いたちの激論の様子に夢中になりすぎたことを反省して、話題を戻そうということですね。

that は関係代名詞で、先行詞は the question です。

「しかし、本来の関心事である ところの 問題に 戻りましょう」

となります。

 

②が、主節です。倒置形になっていて、目的語が先頭に出ています。①の question に引きずられて前に出てきてしまったせいです。

主語は we です。

書き換えると

we so enjoyed debating this question

となります。SVOの文型で、おびえることはないと分かります。。

さらに、enjoyed を be 動詞にすればもっとわかりやすいと思います。

we so were debating this question

という進行形の文になりました。で、

「我々は この問題を 討論することを いつも 楽しんでいた」

となります。

 

どんな時が楽しかったか、と言えば、それが③です。

「我々の夜ごとの討論が という人のおしゃべりに邪魔されない限り」

です。those は次の④の who の先行詞ですが、という人の、です。

 

④は、those をどんな人かを説明しています。

「自分たちの職業についての根本的な理解が欠けている人」

というわけで、単に顔を出していればいいわけではなく、自分たちの仕事が好きで、良くしようと思ってなければいかんよ、と言っているようですね。

 

ということで、まとめれば、

「さて、本来の話題に戻りましょう。たまには自分たちの仕事から外れた意見もありましたが、私たちは真剣に議論していましたが、それは・・・」

となります。そして、セミコロンの次の文章に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

133番です。

 

Indeed, today, those evenings rank amongst my fondest memories from those times.

 

rank 分類される 位置づける 位置する

amongst (= among 主に英)の中に

 

カズオ・イシグロは、思いがけない言葉を使います。rank もそんな気がします。

ここでは自動詞で使っています。「位置しています」とか、「占めています」という感じで使っているようです。

 

文自体は、直説法で現在形ですが、そのころから現在までの時の流れが表現されているところがミソですね。

those evenings が主語で、rank が動詞です。主語が複数なので、原形のままです。

amongst 以下と from 以下は前置詞句ということですね。

 

ということで訳せば、

「確かに、今でも、そんな夜のことは 当時からの 懐かしい 思い出のなかに 位置しています」

となりますね。直訳も悪くないと思います。

 

 

132番です。

 

When two or three such persons were gathered together at our servants' hall - I mean of the calibre of, say, Mr Graham, with whom now, sadly, I seem to have lost touch - we would have some of the most stimulating and intelligent debates on easy aspect of our vocation.

 

長い文ですが、途中にハイフンの挿入部分があるようです。

まず分解です。

 

⓵ When two or three such persons were gathered together at our servants' hall

② - I mean of the calibre of, say, Mr Graham,

③  with whom now, sadly, I seem to have lost touch -

④ we would have some of the most stimulating and intelligent debates

⑤ on easy aspect of our vocation.

 

こんな風に分解しました。

④⑤が主節で、①はそれの従属節です。②③は挿入節で、どんな人がいたのか、ということの例示になります。

 

⓵の were とか、④の would とか、仮定法でよく見かける単語が出てきていますが、ここでは直説法と考えればいいと思います。とはいえ、仮定法の気分も入っている、というか、想像の情景を懐かしんでいるという、心の内を書いていると考えた方がよさそうです。

④の would は、「過去の習慣」と言われているものですが、現在の情景ではない、という点で、矢張り心の内と考えられます。

「よく~したものだった」という感じの訳になります。

 

⓵は、

「二人か三人、そういう人が召使部屋に一緒に集まったときには」とか、

「そういう人たちが二人か三人も、召使部屋に一緒になろうものなら」

ということです。

文をよく見ると受動態になっています。集められた、ということは、何か集める力があったということになります。それは、天の力、になると思います。偶然とはいえ、何かに導かれるように、気鋭の若手召使が集まろうものなら、という感じですね。

そういう自分の職務に燃えている召使たちの例がハイフンの中で語れている人物です。

 

②③のハイフン部分は後回しにして、先に主節の④に行くと、

「我々は、いつも 最も刺激的で、知的な討論の時間を 持ったものでした」

と直訳できます。

some は英語では、debates という名詞にかかっているわけですが、日本語では動詞にかけて副詞的に訳す方が、つまり、「いつも」にした方がなじみます。

 

で、どういう討論かを説明するのが、⑤です。on は、「について」の前置詞です。

easy は、気楽に、という感じで、「遠慮なく、自由闊達に、思う存分に」という感じがします。

「自分たちの職務について 遠慮なく 議論をしたものでした」

となります。

 

ハイフンの中は、such person を受けて、どんな人かを例にあげると、という感じです。

「私は、たとえば グラハムさんの例を 意味しているのですが」

です。

「私が意味しているのは、例えばグラハムさんのことですが、」の方が、日本語らしかもしれません。

calibre は、キャリバーと言われているもののようですが、銃の内径を意味するようで、基準とか、更に、模範、手本などと考えればよさそうです。

そのあとに、そのグラハムさんの情報を③で付け加えています。

③は書き換えると、

 I seem to have sadly lost touch with whom now, 

となりそうです。whom という関代と with という前置詞が、前に出てきてしまった結果です。

「残念なことに 今では 彼の 消息は 途絶えてしまって いますが」

と、付け加えています。

時制的には、この挿入部分は、現在形です。つまり、グラハムさんの現在については情報が途絶えていると言っているわけで、過去と現在の時点の違いが面白いところです。

 

まとめれば、

「そういう人たちの二人か三人が、召使部屋に一緒になろうものなら、例えば、今では消息が残念ながら途絶えてしまっていますが、グラハムさんのような人ですが、いつも私たちは、自分たちの仕事について、自由闊達に議論をしたものでした」

となります。

 

 

 

 

131番です。

 

But then, of course, I hasten to add there are many valets who would never dream of indulging in this sort of folly - who are, in facts, professionals of the highest discernment.

 

途中にハイフンが入っていますが、特に複雑な文ではないようです。

とはいえ、分解をしてみます。

 

⓵ But then, of course, I hasten to add there are many valets

② who would never dream of indulging in this sort of folly

③ - who are, in facts, professionals of the highest discernment.

 

このように分解しました。

 

⓵が、本体の文です。I hasten to add (that) there are many valets と that をおぎなってやれば、文の構造がはっきりします。

there are many valets が、add の目的語ということになり、急いで付け加えなければならない内容です。

「しかし、もちろん、急いで、多くの従者がいることを付け加えます」

となります。日本語らしくすれば、

「とはいえ、~という従者が大勢いることも付け加えておかねばなりません」

となるでしょうか。

 

どんな従者かが②と③です。

②と③は、関係代名詞で導かれている従属節です。先行詞は、どちらも many valets です。and ではなく、ハイフンを使っている意味は、③で②の意味をさらに限定していることが感じられます。どんな限定か、が楽しみです。

 

②は、would を使った仮定法の文になっています。スチーブンスがそういう従者たちのことを想像していることを表しています。

130番の文では、知ったかぶりの召使いたちが、もっともらしいことを言う執事や先輩の行動を誉めたり、真似したりするので困る、というような内容でした。だから、そういう召使たちばかりではないよ、と急いで否定ているわけですが、それは好意的に想像すれば、という限定があるようで、だから仮定法を使っているのです。

「そういう無反省な行動に走るばかりではない(従者)」

となります。

たぶん、無反省な行動に走る召使ばかりではないだろう、と想像しているわけです。だから、仮定法です。

 

さらに、③は、in facts と事実を述べています。だから、ここは直説法で書かれています。ハイフンを使って、仮定法の文とは分けて書いているわけです。

「実際に、高い見識を備えている職業人です」

となります。

ちゃんとした判断力を持った召使も間違いなく、事実としているんだということです。

 

どちらも従者の知識とか行動をスチーブンスが観察して、抱いた感想なのですが、想像的に描写するか、事実的に描写するかの違いです。前者は仮定法で書き、後者は直説法で書くことに分かれます。

and ではなく、- ハイフンを使う意味が出てきます。

カズオ・イシグロの文のすばらしさということになりそうです。さすがノーベル賞だと感じます。

 

というところで、

「とはいえ、そのような無反省な行動に走るばかりではなく、落ち着いた行動をする従者も大勢いることも付け加えておかねばなりません」

としました。