1-4です。

 

What with Mrs Clements and the girls also gone for the week, I suppose I was very conscious of the fact that once I departed, Darlington Hall would stand empty for probably the first time this century =perhaps for the first time since the day it was built.

 

これは分解しないことにはさっぱりわかりませんね。

特に、先頭の what  は、何?って感じですね。

 

① What    I suppose I was very conscious of the fact

②     with Mrs Clements and the girls also gone for the week,

③                                                              that once I departed,

④ Darlington Hall would stand empty

⑤                  for probably the first time this century

⑥                 - perhaps for the first time since the day it was built.

 

ということで、上記のように分解したのですが、これが大間違い。

4月の最初の教室で、受講されている方から指摘され、下記のように分解するのが正解だと分かりました。

そもそも、What with は慣用句で、つながった状態で意味を表しており、分けてはいけなかったのです。熟語だったのですね。

指摘によると、what with は、事態の原因を表すもので、原因としては二つ以上のことがらが多いようです。「~やら…やらで」と訳すようです。

が、ここでは一つが原因として挙げられています。最近の傾向では一つだけのことが多くなっている、と辞書に出ている、とのことでした。訳としては、「いくぶんには」、「ひとつには」などが考えられるようです。

 

ということで、改めて分解すると、

① What with  Mrs Clements and the girls also gone for the week,

② I suppose

③ I was very conscious of the fact

④                                        that once I departed,

⑤ Darlington Hall would stand empty for probably the first time this century

⑥                                           -perhaps for the first time since the day it was built.

となります。

 

これなら文の構造がよくわかります。

①の状況下で、③④の状態が続くと、⑤あるいは⑥ということに、②になってしまうと心配した、となるわけです。

 

ということで、教室では

「ひとつには、クレメンツさんと女性陣がすでに一週間の休暇を取っており、ここで私が出発すれば、ダーリントンの邸館はたぶん今世紀、いやそれどころかおそらく建物ができてこの方初めて誰もいなくなるという意識が強く働いたのだと思います」

と訳されました。

 

以下は間違ったものですが、残しておきます。

分解ばかりでなく、一寸入れ替えてあります。注意してください。つまり、コンマの位置が変わってしまっています。文の要素の切れ位置が変わってしまっていることになります。

①の What の後に②の前置詞句が続くのですが、これは挿入句なので、一旦飛ばして訳を考えることにするので、二行目に置いたわけです。

なお、③の that 関係代名詞節は、①の最後の the fact にかかっていきます。

ということで、文の形としては

   What  I suppose  I was very conscious of the fact

ということになります。

What が先頭に来ているのですが、これは疑問詞ではなく、普通の代名詞と考えた方がよさそうです。

関係代名詞となると思うのですが、つまり①の文の二つの動に対してそれぞれの目的語という要素となっています。I suppose と、I was very conscious に対してです。

また I suppose と I was very conscious の時制に着目すると、I suppose の現在形に対し、I was very conscious は一つ前の時制、過去形になっています。つまり、suppose 想像している より、conscious している 気がついている ほうが前ということになります。

気がついたから、想像した わけですね。

その他①は、the fact は③の that 以下がかかっています。分解したときに順序を変えてしまったのでわかりづらいですが、最初の本文を見てください。

「私が ひとたび 出発してしまえば」となり、①②③と続ければ、

「クレメンスさんと二人の若い女中が一週間の休暇でもうすでに 不在であり、そこで

私が出発するという事実を 意識してみれば」

となり、④⑤の文に対して、条件を付けているということになります。④が、帰結文です。

⑥は⑤を強調して、オーバーに表現しているようですね。

ダーリントンの邸館は、今世紀に入って初めて、否築造以来初めて 無人の館になってしまうはずで ございます」

となります。

 

というところで、まとめると、

「クレメンスさんと若手の二人の女中が一週間の休暇で既に不在であり、そこで私も出発してしまうことを考えると、このダーリントンの邸館は今世紀に入って初めてどころか、築造以来初めて無人の館になってしまうということを心配したのでございます」

としておきます。