1-88です。
Now I am quite prepared to believe that other countries can offer more obviously spectacular scenery.
prepare vt を用意する 準備する 覚悟をさせる
obviously 明らかに 目に見えて
scenery 景色 景観
spectacular 壮観な 目を見張る 見ごたえある
今回は英語らしい文ですね。まず分解してみます。
⓵ Now I am quite prepared to believe that
② other countries can offer more obviously spectacular scenery.
分解といっても、今回はこれくらいにしておいた方がいいです。
⓵は、副詞で始まっています。さて、と話題の方向をちょっと変えるときに使います。続いて、prepare という他動詞を受動態にして使っています。この動詞は他動詞ですから、目的語が必要で、それが to believe という不定詞です。この不定詞は、出身は他動詞ですから目的語が必要で、それが that です。
もちろん that は関係代名詞です。関係というのが接続詞の働きで、代名詞が目的語として働き、あわせて節になっているというわけですが、それが②です。
改めて、①を見ると、prepare と believe と二つの動詞があります。一つの文(節)には動詞が一つしか使えないというのが英語の鉄則ですので、このどちらかを不定詞にして名詞化することになります。ここでは、believe が不定詞に変わり、名詞として働いて、prepare の目的語になっています。ここが英語的です。
さらに、prepare という他動詞を受動態にして自動詞として使っています。この受動態にするというのがも英語的です。ものが主語になって、それが人間に働きかけてくるわけです。
つまり、対象を現実に存在するもの、つまり、目に見える存在として意識すること、で、動かないはずのものが動くようになるというのが、英語のクセです。
まあ、存在が先か、意識が先か、ということは別の問題に発展しますが。
では、日本語的とはどういうことになるのか、という質問が出て当然と言えるのですが、日本語は多かれ少なかれ「関係」を表すことになると考えています。
つまり、机の上に本があるとしたとき、これをどう表現するか、ということです。英語では、This is a book. と一つの文しかありません。
日本語では(あるいはこれを訳して)
⓵ これは本である。
② これは本です。
③ これは本でございます。
と、とりあえず、3つ考えられます。前半の「これは本」までが本来の伝えたい情報で、英語の文もこれと一致しています。
問題は、その後の「である」、「です」、「でございます」の用言部分です。
この部分は、話し手と聞き手との関係によって変わってくるもので、そのものが本であるという事実とは無関係に、また、時間的にも無関係に変動します。つまり、本であるという事実とは別個に、無関係に、お互いの関係性が入り込んでしまっているということです。こういう余分な情報が入り込んでしまうことが、日本語はあいまいだと言われてしまうことにつながると思います。
あいまいではないのですが、一つの文の中で、伝えたい情報の割合が100%ではなく、用言の部分に伝えたい以外の事が付け加わってしまう分だけ、結果的に少なくなってしまうわけです。
たとえば、「本でちゅ」と言えば、肝心の本の映像はどこか飛んでしまって、幼児の姿ばかり頭に残るということになります。
さて、今回の文に戻ります。
⓵は、「さて、that を信じる用意は十分にできています」
となります。
②の方は、関係代名詞 that の内容になっていて、
「他の国ぐにが、もっとはっきりと劇的な景観をていきょうすること」
となりますね。
合わせて、語句を調整すれば訳は完成です。
「さて、他の国々にはもっと素晴らしい景観がある事は、認めます」
となります。
幅のある滝とか、空に向かう高い山などのワンポイントで印象に残る景色に比べると、うねるように、また折り重なるようにどこまでも続く牧草地というものは、強烈な印象を与えないが・・・と、スチーブンスは言いたいようです。