1-51です。

 

that is to say, he intended it as a bantering remark.

 

前の文はセミコロンで終わっていました。その中身ということです。

 

that is to say はもう何回も出てきています。スチーブンスの口癖といってもいいようですが、熟語と考えてもいいし、そのまま不定詞を名詞と考え、that とis であると考えてもいい感じですね。

「それは言ってみることです」というのですから、「つまり」あたりでいいでしょう。

 bantering remark は、「冗談的な見解」ということで、「冗談のつもりの発言」ということです。

 

ここへきて、自動車旅行に出発した時の目的の一部が顔を出しました。スチーブンスは冗談にも気持ちが引っかかっていたのでした。

冗談とは、あるいはギャグとはどういうことかの一部が理解できたのかもしれません。

初対面の他人同士では、なかなか冗談は通じないとは思うのですが。

 

ということを考えるのですが、それはそれとして、

「つまり、住民は冗談のつもりで言ったようでした」

としました。

 

 

 

1-50です。

 

It occurs to me now that the man might just possibly have meant this in a humorous sort of way;

 

会話調の短い言葉のやり取りから、説明調のちょっと長めの文になりました。

occurs と現在形になっているところがミソですね。

スチーブンスが住民と話していた、その当時の事柄ではなく、読者に向かってスチーブンスが話している現在の事柄というわけです。

また、最後はセミコロンになっています。文としては切れるのですが、中身は次ということになります。

 

まず分解してみます。

① It occurs to me now that

② the man might just possibly have meant this

③ in a humorous sort if way;

 

こんな風に分解しました。

①の that は、②のはじめでも良いと思うのですが、ここでは

「that が今では思い浮かんでいます」

と目的語を意識できる位置に置いておきます。

関係代名詞ですから、②以下の内容を表しています。

 

②は、動詞がいくつも重なっていますが、スチーブンスがその時と違って、丁寧な気持ちになっており、あの時は失礼したという気分になっているのかもしれません。

might は仮定法です。そこに本動詞として現在完了形がくっついていますが、言葉の数が多いだけ丁寧、かつその時の反省の気持ちを表しているように思います。訳としては

「住民は、多分このことを という調子で言いたかった」

という感じだと思います。

 

その感じというのが③で、

「ユーモアのある調子で」とか「冗談めかして」

という感じです。

 

まとめると、

「今となって思うのは、その住民はわたしに冗談めかして話そうと思ったに違いないということでございます」

としておきます。

 

 

 

 

 

1-49です。

 

A couple more years and it might be too late' - he gave a rather vulgar lough - 'Better go on up while you still can.'

 

今回は長いですね。と言っても途中にハイフンで挟まれた部分が挿入されているせいです。

住民の発言の途中で、どうしても書きたくなったということでしょうか。

それを見やすくするためにも、今回は分解してみます。

 

① A couple more years and it might be too late'

② - he gave a rather vulgar lough -

③ 'Better go on up while you still can.'

 

こんな感じに分解できると思います。

三つの部分に分けられると思います。つまり、それぞれがつながってはいないようです。ばらばらに考えればいいようです。

ピリオドが使われていないので、一つの文として考えるのですが、分けて考えた方がよさそうです。

 

①は、

「二年もすりゃ、それは遅すぎたってことかも知れない」

ですね。

might は仮定法で、二年先を想像しているわけです。It が何か、ということですね。

この前まで、スチーブンスは住民に景色のいいところを勧められていました。それをやんわり断っていたのですが、更に勧めてきているわけですね。つまり、It は、上まで登って景色を見ること、と考えたらいいと思います。

 

さて、景色見物を勧めている住民の様子が、スチーブンスにはどんなふうに見えたのかということが②です。その登ったところを想像している表情を、ハイフンで囲って挿入しているのが、②ということになります。

「どちらかというと下品な笑いを与えた」

ということですが、スチーブンスに向かって笑ったわけですね。それが、下品に見えたようです。住民は人懐っこく笑ったんだと思うのですが。

 

③は、Better は「ずっといいよ」という感じでしょうか。副詞ながら比較級になっています。

「できる間に、登っておくほうがよりいい」

ということですね。

 

ということで、

「二年もしたら、遅かったってことになりかねませんよ」と住民はにやりと笑いかけ、「行けるときに見とくのが上策ってものですよ」と言ったのです。

とします。

 

 

 

1-48です。

 

And you never know.

 

今回も短いです。たった四つの単語です。

 

「そして、あなたは決して知らない」

で間違いはないのでしょうが、訳として能がないですね。

 

どういう状況化を整理してみると、次のようなことになります。

スチーブンスを見つけた住民が、とっておきの景色が見えるところがあるけれど、場所を教えるから行って見て来いと言っています。

ちょっと道は険しいけど、あなたの健康状態なら大丈夫そうだし、是非見ることを勧めるということなのです。

スチーブンスは見ることは特に嫌ではないけれど、旅の始めにそんなにいい景色を見てしまっては後の楽しみがなくなってしまうことを心配しています。景色より、ここがどこかを知りたいのですが・・ 景色を見れば、この場所のヒントになるかもしれないとも、思ったりします。

二人の間には微妙な感覚のずれがあります。

推し、と、押し返し、ということになるのでしょうか。あるいは、相手の気持ちを分かったうえで、それを知らんぷりしているということなのでしょうか。

 

ということで、今回は、神のお告げみたいなセリフです。

「もっとも、誰もどうなるか、知りゃしませんがね」

とします。

穏やかな脅しですね。

 

 

 

1-47です。

 

'I'm telling you, sir, you'll be sorry If you don't take a walk up there.

 

sir は敬関詞です。つまり、住民はスチーブンスのことを sir と認識していることを表しています。

訳としては、そういう sir と認識している人に対する言葉遣いで話しかけるというのが目標です。

 

住民が言っていることは、

「私はあなたに言っていますが、ちょっと足を伸ばして上へ登っておかないと、あなたは後悔します」

ということですが、これを sir と認識している人には、どんな言葉を使って話すでしょうか、というわけです。

 

都会というか、人口密集地から少し外れた田舎町の住人が、立派な車から降りた紳士に向かって、どういう言い方をするのが自然か、ということですね。

年令的には、おそらく住民の方が年上で、スチーブンスはまだ現役ですから、年下と考えられますが、このあたりの地理とか風習に関しては大先輩と思えます。一般的

 

「言っておきますが、いまちょっと足を伸ばして見とかないと、後悔することになりますよ」

あたりなら、相手を怒らすような失礼な言い方ではないと思います。

ということで、とりあえずこの訳にしておきます。

 

 

 

 

1-46です。

 

I glanced up the path which did look steep and rather rough.

 

which は関代ですね。先行詞は the path ですが、後ろから訳すより、前から訳してきた方が自然です。

 

did は、強調ですね。間違いなく見えた、と力んでいるのですが、look を強調するより、steep を強調した方が自然かなと思います。

rather も 「しかも」とか「おまけに」といった感じの強調ですね。

 

ということで、

「私は小道をちらっと見あげました。すると、小道は急こう配で、しかも岩だらけに見えたのです」

としておきます。

 

 

 

 

1-45です。

 

I mean, even I can manage on a good day.'

 

ここまでが住民の発言です。引用符が閉じられているのは、その印です。

 

I mean は、「私が意味するのは」と訳せばいいと思うのですが、「もっとも」とか「いやね、」のような言葉をつなぐような訳もあると思えます。

あるいは、ここは直接訳さず、おたがいの関係に応じた用言部分の言い方にまとめるのもあると思えます。つまり、I mean は敬関詞の変形と考えるわけです。

 

インタビューなどの会話の中でよく出てくる you know とか、その丁寧版の you realize なども、まともに訳すより、その言葉の用言部分を、そういう認識がある場合の言葉遣いにするというのが、日本語として自然だと思います。「です」「でございます」「でしょ」などと訳せば自然な日本語になります。

 

manage は、「なんとかやり遂げる」とか「をうまく扱う」というように、単純にやってし合うのではなく、工夫しながらやるという感じがします。

 

a good day は、「日が良い」のではなくて、「体調が良い日」ということですね。

つまり、good には二つの場合があるようです。そのものが良い場合と、良いと誰かが思っている場合の二つです。

日本語の「おいしい」「うまい」も二つの場合があるようです。そのものがうまいのか、誰かが食べてうまいと思っているのか、の二つです。これについては長くなりそうなので、また改めて。

 

ということで、

「わたしだってね、調子が良ければ何とかなるんですよ」

としました。